「海外の貧しい子どもたちへ愛の手を!」
休日の街中で募金の呼びかけを聞いて、100円玉を募金箱へ。「ありがとうございました!」の声を聞いて「良いことしたな」と思う。多くの方が経験したことのある場面だと思いますが「募金する」だけで本当に「国際協力」につながっているのでしょうか?

国際学部の尾和潤美准教授は答えます。
「援助しただけではなく相手を『深く知る』ことが重要です」

「永遠の挑戦者たち」連載第二回は「国際協力」の意識をアップデートさせようと研究に取り組む挑戦者の物語。

1.「驚きの決断」から開かれた道

穏やかな雰囲気でインタビューに答えてくださった尾和准教授ですが、その口から飛び出したのは驚きの言葉でした。
「私、大学を中退した経験があるんですよ」

―――
尾和先生の研究テーマは「途上国への援助」ということですが、学生の頃からそういったテーマに興味があったのですか?
尾和
実はそうでもないんですよ。元々は英語教師になりたくて大学は英文学科に進学しました。ただ、そこで出会った宗教学やジェンダー論の先生方がアフリカで教えていた経験をお持ちだったり、社会問題に関する話をしてくれたりしました。その話を聞いた時に、子どもの頃テレビでアフリカの貧しい人たちを見た時に「なんで国境が違うだけでこんなに状況がちがうんだろう」と感じたことを思い出したんです。そこから興味が国際援助の方向に移って、どうせなら本格的に勉強しようと思って、通っていた大学を中退しました。
―――
ずいぶんと思い切った行動ですね。
尾和
普段は優柔不断なんですけどね(笑)。でもあのときはタイミングが良かったのか、すぐに決められました。
―――
そこから別の大学に編入されて本格的に国際協力について学ばれることになったということですか。
尾和
はい。編入してからは専門的に国際関係について学び始めて、卒業後は海外の大学院で国際開発について学びました。大学の3、4年生ぐらいの時には、日本の国際援助について課題が多いということを知ったので、将来は日本の援助を改善する仕事に就きたいなと思っていたんです。だから、東京にある国際協力機関に就職したんです。2年で辞めちゃいましたけど。
―――
ええっ。なんで辞めてしまったんですか。
尾和
やっぱり援助の現場である途上国に行って仕事がしたいな、と思って。そうしたら外務省の専門調査員のポストがあったので応募しました。そのおかげでアフリカのウガンダにある日本大使館で働けることになったんです。
―――
すみません。ウガンダってあまり馴染みのない国なんですが、どこにあるんですか?
尾和
アフリカ大陸の中央部からやや東よりにある赤道直下の国ですよ。ここです。

post9_img01.jpg

―――
なるほど。どうしてウガンダに行こうと思ったのですか?
尾和
修士課程でウガンダについて勉強したのがきっかけです。留学していたイギリスのサセックス大学がアフリカに関する開発や援助についてかなり研究が進んでいたんですよ。ウガンダは欧米からかなりの援助を受けていた国なので、途上国への援助を研究するのにちょうど良いと思ったので決めました。そうしたら3年後には帰りの飛行機で泣いてしまうくらいにウガンダのことが大切になっていましたね。

2.ウガンダで流した涙の理由

―――
行きと帰りですごい違いですが、どうしてそんな変化が起きたんですか?
尾和
ウガンダでいろいろなことに気づかされたんです。例えば、大使館の仕事を必死になってこなしながら、寝不足でボロボロの状態で現地調査にむかっている車中で、地元の人たちが皆で楽しそうに歌って踊っているのを見たことがあったんです。「みんな幸せで楽しそうだな」と思うと同時に「他人を幸せにするためには自分も幸せでないと駄目だ」と気づいたんです。それに尊敬できる人たちとの出会いがあったのも大きかったですね。ウガンダは、以前はインフラが不安定でよく停電が起こりました。私自身、ウガンダでTOEFLのテストを受けたことがあるんですが、問題文を表示していたPCモニターが停電で使えなくなるといった事態を経験しました。そういったハンデがある環境のなかで、私以上に有能で仕事をバリバリこなしていくウガンダ人が何人もいるんですよ。素直に「すごい人たちだな」って。
―――
現地の人たちのおかげで大事な事に気づくとか、人生の師匠みたいになってますね。
尾和
はい、そんな感じです。そういった「気づき」や「出逢い」が自分の中で大切なものになってそれがウガンダを離れるときにあふれ出したんだと思います。だから帰りの飛行機に乗ってから涙を流すぐらい泣いてしまって。飛行機のスタッフの人が心配して、私の手を握って慰めてくれました(笑)。
―――
それほどウガンダでの体験が先生に与えた影響は大きいということですか。
尾和
はい。行く前は正直自分でもウガンダのことを「途上国」という意識だけで見ていたと思います。それが、現地に行って180度変わりました。援助する相手のことをちゃんと深く知ろうと思えるようになったのは私のなかで大切な「気づき」になっています。

post9_img02
ウガンダから帰国するときに他国の援助機関やウガンダ政府職員から先生へ贈られた本と寄せられたメッセージ

3.「援助するだけ」から「深く知る」ことへの意識改革

―――
ウガンダの次はどこでお仕事をされたんですか?
尾和
東京の政策研究大学院大学で援助政策研究に関連する仕事をした後、パリの経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部で専門調査員として勤務し、国際的な開発協力政策の議論に携わりました。その後は、英国のウォーリック大学で博士課程の勉強をしましたが、その際には研究の道へ進むことを決めていました。実務の仕事も大好きだったので、だいぶ迷いましたけど(笑)。一番大きな理由は時間の問題ですね。実務をやっていると色々と興味深いテーマが発見できるんですが、発見できるだけで時間がない。だから研究者になっていろいろなテーマを手掛けてみたいというのが理由ですね。
―――
なるほど。先生が研究を進める上で大切にしていることはありますか?
尾和
私の場合「誰かのためになる研究」であることを常に意識しています。先ほどのウガンダの話でもありましたけど、ただ援助するだけでなくて、相手のことを深く知って行動することが「ためになる」ことだと思っています。そのためにはもう少し日本社会の援助に対する意識が変わって欲しいな、と思っています。
―――
「意識が変わる」というと具体的にはどういったことでしょうか?
尾和
日本国内のメディアが「国際協力」や「途上国」の話題にもっと注目して欲しいですね。
―――
言われてみれば、国際協力のニュースを見ることは少ない気がします。でも、国内の大きな地震ニュースはよく見ますし、義援金やボランティアはすぐに集まりますよね。
尾和
そうなんです。国内で災害などが起きると思いやりや共感の輪が広がります。それが海外のことになるとメディアも人も「よそごと」になって動きが鈍くなる。ここの意識の差を埋めていくのが、今後の研究の課題だと思っています。
―――
私も時々海外への募金とかしますけど、それ以外には特に何もしていません...
尾和
募金に関わる場所や機会は結構あるんですが、多くの人が「募金して終わり」になっています。そうではなく、募金がどのような使われ方をしているのか、受け取り側の人々の生活はどのようなものかといったことにも興味を持って欲しいですね。日本は輸出入に頼る部分が大きいので、様々な国と関係を持つことで、私たちの生活が成り立っています。そのようなつながりは直接的には見えにくいかもしれませんが、途上国を含む他国の人々の生活は決して「よそごと」ではないんです。
―――
普通に暮らしているだけでも、いろいろな国の人々と関わっているということですね。
尾和
はい。「援助するだけ」ではなくて「相手を深く知る」ことへの意識改革が出来れば良いなと思っています。そうやって「よそごと」の意識を減らしていけば、国内に向けられている「思いやりの心」を海外に向けても広げていけるんじゃないかと。その結果、メディア報道も増えて、国際協力に関心をもつ人が増えることで、政府の援助政策もより良いものになるのではというのが私の考えです。難しい課題で「これだ!」という解決策はまだありませんが、それだけ挑戦する価値のある研究テーマだと思っています。

post9_img03

 

研究者プロフィール

英国サセックス大学修士課程修了後、(財)日本国際協力システム、外務省専門調査員として在ウガンダ共和国日本大使館(2003-2007年)やOECD日本政府代表部(2008-2010年)、政策研究大学院大学にて日本のODA業務や開発協力政策に関する実務・研究を経験。その後、英国ウォーリック大学博士課程修了、名古屋短期大学助教を経て2017年より中京大学にて勤務。専門は、国際協力・アフリカ地域研究。国際協力の「なぜ」を追求するために学生と共に学んでいる。
※取材時時点

尾和潤美准教授
国際学部

2024/05/22

  • 記事を共有