ポストコロナ時代における心理学の役割
「エボラのまん延から得る、何か一つ良い教訓があるとすれば、私たちが準備を始めるための警鐘となったということでしょう。今始めれば、次の疫病への対策は間に合います。」
2015年に開催されたTED Conferencesで、米マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツ氏は、西アフリカにおけるエボラ出血熱のまん延から、感染症対策への事前の準備ができていない現状に対し、全世界に警鐘を鳴らした。エボラに次ぐ感染症への対策が喫緊の課題であることを強く訴えた彼の講演は、上記の言葉で締めくくられた。
しかし、こうしたビル・ゲイツ氏の訴えにもかかわらず、私たちは十分な対策を講じることができていなかった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックという未曾有の危機に直面し、さまざまな局面で対応は後手に回った。科学的な知見の共有の遅れも露呈した。
COVID-19の流行が終息に向かいつつある今、感染症流行当初の関心や恐怖心は社会から薄れつつある。しかし今回こそは、将来の未知の感染症の発生やパンデミックへの対策を講じるための教訓とする必要がある。
私たちが経験した困難を教訓とし、未来の危機に備えるために、心理学はどのような知見を提供できるだろうか。COVID-19の発生は社会を大きく変え、それにともない顕在化した課題は山ほど存在するが、ここでは、衛生マスクに関する課題を取り上げたい。
外出時のマスク着用が求められていたここ数年間、マスクを着用した状態での日々の生活に多くの人が困難を感じたことだろう。マスク着用は感染症の拡大防止に有効だが、その一方で、顔の判別、表情の読み取り、言語情報の伝達が難しくなることがあり、対人コミュニケーションの質を低下させる副作用がある。また、長期間のマスク着用が、子どもの顔認知の発達に悪影響を及ぼす可能性も指摘されている。こうした「マスクで顔が見えないこと」の課題は単純だが、その解決は一筋縄ではいかないことは、ここ何年もの苦難が物語っている。
こうした課題に対応するため、筆者らは生活用品メーカーとの産学共同研究で、「顔が見える透明なマスク」に関する開発と評価を行っている。透明なマスクの使用がどのように対人コミュニケーションの質を向上させるか、着用者の印象を変えるかなど、その有効性についてさまざまな検証が進められている。不織布マスクで口元が覆われて見えない場合に比べて、透明なマスクでは、視認可能になることでより良いコミュニケーションが期待できることが示されている。今後は、医療・福祉場面での応用可能性の検証や、聴覚障がい者のコミュニケーションの助けになるかの効果検証も待たれる。
このように、マスク着用一つをとっても、科学的に検証すべき課題は多岐にわたる。しかし、これらの課題に対する科学的な検証を一つ一つ進めることは、確実に次のパンデミックの備えとなる。例えば、マスク着用に関するポリシーの策定に寄与できるだろう。
「今始めれば、次の疫病への対策は間に合います」―。ポストコロナ時代に心理学は何をすべきだろうか、そしてどのように社会に貢献できるだろうか。心理学の視点から考え続けていきたい。
【略歴】
宮崎 由樹 (みやざき ゆうき)
中京大学心理学部 准教授
応用認知心理学
首都大学東京人文科学研究科単位取得退学・博士(心理学)
1983年生まれ