戸籍法改正が意味するもの
漢字文化と氏名の読み仮名

 2023年6月、戸籍法が改正された。その目的は、これまで戸籍に含まれていなかった、氏名の読み仮名をつけることを義務付けることにある。24年3月に施行後、1年以内に本籍地の自治体に届出ることになる。もし届出がない場合、市区町村長の職権で住民基本台帳をもとに読み仮名をつけるという。
 発端となったのは、コロナ禍で露呈したデジタル化の遅れである。政府はポイント事業を通じて躍起になってマイナカード普及を進めてきたが 、マイナカードに登録した公金受取口座では、マイナカードの漢字氏名と銀行口座のカナ氏名が照合できないという致命的な欠陥があった。しかも漢字名では複数のデータベース間の名寄せも難しい。こうした問題に対応するために、遡って戸籍に読み仮名をつけることにしたわけである。
 それにしても、名前の読み方に法的根拠がなかったというのは驚きではないだろうか。 漢字名が本物(真名)であって、読み方(仮名)は公の名前として扱われていなかったかのようだ。
 法的根拠は整ったが、しかし、デジタル化の作業は大きな課題に直面している。すでに明治の壬申戸籍以来、登録されてきた漢字は膨大な数である。旧字、異体字、俗字、誤字などのバージョンを含め、約70万もあるともいう。JIS漢字コード(約1万1千)では対応しきれず、デジタル化できない漢字が多数ある。政府は行政に使用する漢字を約7万に標準化しようとしているが、戸籍を管轄する法務省が消極的だという。俗字・誤字の訂正が、固有の漢字名にこだわりをもつ市民や政治家の反発を招いてきた経緯があるからだ。
 そして問題の読み仮名である。人名の場合、音訓や字義だけでなく、名乗り訓と呼ばれるものがある。頼朝の「とも」や彩(あや)さん、和雄さんの「かず」など、漢字の意味とのつながりが不明だが慣用的に使われてきたものである。また海と書いて「マリン」と読ませる外国語からの連想もある。法務省は、子の名前に使える漢字は、常用漢字や人名漢字など約三千語だとし、今回その読みについて一般に認められているものに限定する方針だが、命名文化の多様性を尊重することが望まれる。
 日本最古の書物『古事記』(712年)は、すべて漢字で表記されており、漢字で音を表す万葉仮名と変体漢文で書かれていた。その後、外来の漢字を受容する中でカタカナ・ひらがなが作られたが、三種の文字体系の併存は他の言語には見られない。音読みに加えて、さまざまな訓読みを当ててきたことは、漢字が一字一音である中国語や韓国語と異なり、日本の漢字使用の自由さや複雑さを生み出した文化的背景となっている。
 だが、読み仮名の義務化は、漢字中心主義から離れる一歩と見られなくもない。古代(漢字受容)、近代(戸籍)、現代(デジタル化)にかかわる、三重の歴史的な転換だと言えるかもしれない。この課題のためにも政府は、丁寧に説明責任を果たし、国民の信頼を回復する必要があるだろう。

【略歴】

樹本 健(きもと・たけし)。
中京大学国際学部准教授。
日本思想史。
コーネル大学大学院博士課程修了。
博士(東アジア文学)。
1971年生まれ。

(中京大学)樹本准教授写真.jpg

  

2024/02/27

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