「不処罰」との戦い 備えはあるのか
戦争にもルールがある

 2022年から続くロシア・ウクライナ戦争でも示されたように、国連憲章などによる戦争の禁止にもかかわらず、人の世からは戦いが絶えない。こうした現実を背景に、かつての戦争法は今日、国際人道法と名を変えつつも、依然として戦争において守られなければならない、最低限のルールを規定している。
 勝利追及のための暴力の行使が公然と認められる戦争において、妥当するルールがはたして存在するのか、疑問に思われるかもしれない。しかし、戦争に勝利するためにリソースを集中する必要性から、不必要な加害や破壊はむしろ戦争の勝利を妨げると考えられている。この思想を背景に、国際人道法は戦争の存在を前提として、戦争を遂行するための軍事的必要と戦争犠牲者を保護するための人道とが釣り合うところに存在している。
 国際人道法は国家間関係に適用される国際法であるため、基本的には国家がルール違反の責任を負う。しかし同時に、ほかの国際法と異なり、国際人道法の違反は戦争犯罪として、国家だけではなく個人にも刑事責任を生じさせることがある。
 こうした個人の刑事責任の追及の例として、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判などを挙げることができるだろう。今日では、2002年に設立された国際刑事裁判所がその任にあたっており、ロシア・ウクライナ戦争ではロシアのプーチン大統領らに子どもの強制移送の容疑で逮捕状が出されたことが記憶に新しい。
 例に挙げた戦争犯罪処罰の共通点は、国際的な裁判所により行われたことである。しかし、戦争犯罪の処罰は必ずしも国際裁判によってのみ行われるわけではなく、むしろ個々の国家こそが戦争犯罪の処罰に対する第一の責任を負っている。例えば、国際人道法の基本的な条約の一つである1949年の文民条約146条は、条約の遵守を確保するために、国家にこの条約の重大な違反を犯した者を、処罰することを義務づけている。国際法は、国家に戦争犯罪の容疑者を取り締まることを求めているのである。
 ロシア・ウクライナ戦争においても、ウクライナは、戦争犯罪を規定するウクライナ刑法438条に基づき、ロシアによる戦争犯罪に対して、個人の刑事責任を追及している。
 国内裁判所による戦争犯罪処罰は日本にとっても他人事ではない。日本国民が加害者や被害者である場合や容疑者が国内に所在する場合において、戦争犯罪を処罰しなければならない可能性を否定することはできない。実際、これまでも日本とは無縁と思われていた海賊の処罰が国内で行われた例がある。
 その際、日本の刑法体系では原則として戦争犯罪のための特別の規定によらない処罰を行うことから、戦争犯罪責任を十分に追及できない可能性が指摘されている。例えば、日本国籍を持たず、日本人が犠牲になっていない戦争犯罪の容疑者が日本に所在する場合、日本国内では裁判を行えない可能性が、国際刑事裁判所の赤根智子判事からも懸念されている。非人道的行為の責任者の「不処罰」を終わらせるためにも、国内的な戦争犯罪責任追及の枠組みを見直す時期が来ているのではないだろうか。

【略歴】

保井 健呉(やすい・けんご)。
中京大学法学部講師。
国際法。
同志社大学大学院法学研究科博士課程(後期課程)修了。
博士(法学)。
1989年生まれ。

(中京大学)保井先生顔写真 500.jpg

  

2024/02/13

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