英国のEU離脱に思う
欧州との緊密な貿易不可欠、いずれ復帰も

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   経済学部     椿 建也教授

 英国が2016年に国民投票の結果、僅差で欧州連合(EU)からの離脱(ブレグジット)を決めてから、この6月23日でもう7年になる。世界的な金融の中心シティを擁し、EUビジネスの一大拠点だった英国には、1400社近くの日系企業が進出していたため、当時、日本の新聞各紙も大々的にこのニュースを報じた。
 当の英国では、投票結果を受けて、2017年に離脱条件をめぐる公式の交渉が始まったが、世論の分断を抱えて、英議会による協定案の承認は難航した。2019年12月、国民投票で離脱派のキャンペーンを担った、ボリス・ジョンソン率いる保守党が総選挙で勝利して、ようやく英国は2020年1月末、EUを正式に離脱する。さらに、その直後に世界を襲った新型コロナウイルスへの困難な対応を迫られるなか、移行期間が終わる寸前、EUとの新たな経済関係を定めた貿易・協力協定(TCA)に合意し、2020年をもって「完全離脱」を達成した。
 国民投票後、そもそも英国民が離脱を選択したのは、グローバリゼーションの波にさらされた人々の不安や不満の矛先がEUに向かったからではないか、英国は欧州に背を向け、孤立主義に走るのではないかという声がよく聞かれた。
 そうした懸念に応え、むしろ世界を相手に通商関係を強化するために政府が掲げたのが、「グローバル・ブリテン」という戦略だった。それが単なるスローガンでないことは、英国が2021年に、日本主導の環太平洋経済連携協定(TPP)に加盟申請を行い、本年3月末に認められたことにも表れている。
 また、コロナ下では、同じように海に囲まれた台湾やニュージーランド、日本などが国を閉じたのに対して、いち早くワクチンを開発して集団接種を進めた英国は、早々に規制を緩和し、自国を開放した。これも、通商国家としての歴史と自由貿易の伝統に裏打ちされた、その開かれた国柄が健在な証しといえよう。
 しかし、ここに来て、コロナ危機に覆い隠されていた、EU離脱の経済的現実が明らかになりつつある。EUとのTCAには関税はかからないものの、新たに煩雑な通関手続きや事務コストなどの非関税障壁が発生し、英・EU間の貿易量は低迷気味だ。英「エコノミスト」誌(本年1月7日号)は、TCA発効後、EU向けの輸出品目が7万から4万2000に減少したこと、また残留した場合に比べて、EUからの離脱が、英国のGDPを5.5%押し下げ、国内投資(総固定資本形成)を11%低下させたとする、独立のシンクタンクの推計結果を紹介している。
 一方、新戦略の目玉とされたアメリカとの通商交渉は進展がみられない。オーストラリアやニュージーランドとの自由貿易協定も、期待したような成果をあげていない。この間、複数の世論調査で、「EU離脱は間違いだった」の回答が、「正しかった」をかなり上回るようになり、長く離脱・残留に二分されていた世論にも軟化の兆しがある。
 振り返ると1950年代半ば、当初欧州統合への参加を見送った英国は、その後、旧植民地や自治領などとの歴史的紐帯だけでは国の繁栄を維持できないと見て取ると、方針を転換して、1973年にEUの前身の欧州共同体に加盟を果たした。
 英国は早晩、最大の貿易相手であるEUとの、より緊密かつ円滑な貿易関係を再構築せざるをえないだろう。道のりは険しいとはいえ、いずれEUへの復帰も視野に入ってくるのではないか。

【略歴】

椿 建也 (つばき・たつや)。
中京大学経済学部 教授。
西洋経済史、社会政策。
ウォーリック大学社会史研究所博士課程修了。Ph.D. (Social History)。
1959年生まれ。



  

2023/05/19

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