社会情動的スキルの発達と波及効果
スキルはスキルを生む
心理学部 水野里恵教授
テーブルの上に置かれたトレイの中に1個のマシュマロ。それを目の前にした保育園の子どもたちは,研究者が戻ってくるまで一人で待つことができれば,もう1個マシュマロを余分にもらえることが約束される。近い将来2個のマシュマロを手に入れるためには,目の前にあるマシュマロは食べるわけにはいかない。一人ぽっちで,ふわふわした美味しそうなマシュマロと部屋に残された子どもたちは精一杯の工夫を試みる。トレイが見えなくなるよう遠ざけたり,マシュマロをほんの少しだけつまんだり,気を紛らわせるために一人芝居を続けたりと実にさまざまであった。
満足遅延実験で測定される自己抑制のスキルは,個人の目標を達成するのに欠かせない社会情動的スキルの一つである。目標の達成・他者との協働・情動コントロールに必要なスキルは,社会情動的スキルと呼ばれている。ダイエットや禁煙を成し遂げる,遊びや仕事でのチームプレイに貢献する,人生で出会うさまざまな困難に対処する。私たち個人のウェルビーイング(心身の健康,生活満足感)には,社会情動的スキルが大きく寄与している。
社会情動的スキルは,認知的スキル(読解,算術,問題解決スキル)の発達に寄与する可能性も指摘されている。筆者は,自己抑制のスキルと自己実現のスキル(自分の意思を明確に示すスキル)との2側面を含む「自己制御スキル」に焦点を当てて,2010年出生コホートを対象にした縦断研究を実施している。その分析結果から,就学前の子どもが対人場面でとる自己制御スキルが,就学後の学習面でのスキルへ結実した可能性が示唆されている。また,就学前期に対人場面での自己制御スキルの高い子どもたちは,就学後に母親から,子どもの気持ちに寄り添う態度・好奇心や多角的視点を提供する態度を多く引き出していたことも明らかになっている。
前述の結果は,社会情動的スキルが高い水準に達している子どもほど,学習への投資をより多く受ける可能性が高いとの見解を支持している。経済協力開発機構(OECD)は,「スキルがスキルを生む」との観点に立ち,発達早期に社会情動的発達を促進する学習環境を整える重要性と加盟諸国の家庭・学校・地域社会の実情を報告している(OECD, 2015)。日本では,昨今教師の過重労働の観点から問題になることも多い学校部活動であるが,子どもの社会情動的スキルを育成するという観点からは高く評価されている。学校と地域社会との連携を進め,地域社会に暮らす成人の社会情動的スキルの育成といった観点からも,制度設計を考えていく必要があるのではないだろうか。
さて,マシュマロテストに代表される満足遅延実験の追跡研究の結果から,スタンフォード大学の研究者ウォルター・ミシェルは,自分自身で満足遅延の方略を考えなければならない状況に置かれた幼児の行動の個人差が,その後の認知発達の個人差に関連していたことを報告した。すなわち,幼児期に自ら方略を考え長い間満足の遅延が行えた子どもは,青年期に達した時注意深く集中力・忍耐力があり有能で計画性があり知的レベルが高いと親が報告し,大学進学適性試験(SAT)の得点が高かったのである。
【略歴】
水野 里恵 (みずの・りえ)。
中京大学心理学部教授。
発達心理学、教育心理学。
名古屋大学大学院教育発達科学研究科修了。博士(教育心理学)。
2023/03/16
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テーブルの上に置かれたトレイの中に1個のマシュマロ。それを目の前にした保育園の子どもたちは,研究者が戻ってくるまで一人で待つことができれば,もう1個マシュマロを余分にもらえることが約束される。近い将来2個のマシュマロを手に入れるためには,目の前にあるマシュマロは食べるわけにはいかない。一人ぽっちで,ふわふわした美味しそうなマシュマロと部屋に残された子どもたちは精一杯の工夫を試みる。トレイが見えなくなるよう遠ざけたり,マシュマロをほんの少しだけつまんだり,気を紛らわせるために一人芝居を続けたりと実にさまざまであった。
満足遅延実験で測定される自己抑制のスキルは,個人の目標を達成するのに欠かせない社会情動的スキルの一つである。目標の達成・他者との協働・情動コントロールに必要なスキルは,社会情動的スキルと呼ばれている。ダイエットや禁煙を成し遂げる,遊びや仕事でのチームプレイに貢献する,人生で出会うさまざまな困難に対処する。私たち個人のウェルビーイング(心身の健康,生活満足感)には,社会情動的スキルが大きく寄与している。
社会情動的スキルは,認知的スキル(読解,算術,問題解決スキル)の発達に寄与する可能性も指摘されている。筆者は,自己抑制のスキルと自己実現のスキル(自分の意思を明確に示すスキル)との2側面を含む「自己制御スキル」に焦点を当てて,2010年出生コホートを対象にした縦断研究を実施している。その分析結果から,就学前の子どもが対人場面でとる自己制御スキルが,就学後の学習面でのスキルへ結実した可能性が示唆されている。また,就学前期に対人場面での自己制御スキルの高い子どもたちは,就学後に母親から,子どもの気持ちに寄り添う態度・好奇心や多角的視点を提供する態度を多く引き出していたことも明らかになっている。
前述の結果は,社会情動的スキルが高い水準に達している子どもほど,学習への投資をより多く受ける可能性が高いとの見解を支持している。経済協力開発機構(OECD)は,「スキルがスキルを生む」との観点に立ち,発達早期に社会情動的発達を促進する学習環境を整える重要性と加盟諸国の家庭・学校・地域社会の実情を報告している(OECD, 2015)。日本では,昨今教師の過重労働の観点から問題になることも多い学校部活動であるが,子どもの社会情動的スキルを育成するという観点からは高く評価されている。学校と地域社会との連携を進め,地域社会に暮らす成人の社会情動的スキルの育成といった観点からも,制度設計を考えていく必要があるのではないだろうか。
さて,マシュマロテストに代表される満足遅延実験の追跡研究の結果から,スタンフォード大学の研究者ウォルター・ミシェルは,自分自身で満足遅延の方略を考えなければならない状況に置かれた幼児の行動の個人差が,その後の認知発達の個人差に関連していたことを報告した。すなわち,幼児期に自ら方略を考え長い間満足の遅延が行えた子どもは,青年期に達した時注意深く集中力・忍耐力があり有能で計画性があり知的レベルが高いと親が報告し,大学進学適性試験(SAT)の得点が高かったのである。
【略歴】
水野 里恵 (みずの・りえ)。
中京大学心理学部教授。
発達心理学、教育心理学。
名古屋大学大学院教育発達科学研究科修了。博士(教育心理学)。
2023/03/16