鉄道150年の会計問題
減価償却導入への紆余曲折
総合政策学部
中村将人准教授
今年は日本に鉄道が開業してから150年という節目の年である。日本初の鉄道は、明治5年に明治政府が敷設・運営した新橋~横浜間鉄道である。このときの鉄道技術はイギリスから導入され、その資金もイギリスにおける外国債発行によって調達された。これに伴い、鉄道会計も次第にイギリスの会計制度が参照されるようになった。
イギリスの鉄道会社で考案された会計手法の一つが「減価償却」である。減価償却は、固定資産の価値費消分を価額から減じ、その耐用年数にわたって費用として計上する処理である。今日の会計学では、発生主義に基づいて費用と収益を適切に対応させた期間損益を計算することが減価償却の目的とされている。しかし、当時は別の目的が重要視されていた。
減価償却費は現金支出を伴わない費用であるため、利益を圧縮する一方で同額の資金が留保されていくこととなる。こうして耐用年数が終了する頃には、その固定資産の取得原価相当の資金が留保され、固定資産の取替に使うことができる(しばしば、内部留保は必ずしも現金の裏付けがないと説明されるが、当時の損益計算は現金主義に基づいており、内部留保に対応する現金が存在した)。これを「減価償却の自己金融効果」と呼ぶ。
さて、イギリスの鉄道会計制度を導入した日本の国鉄であったが、戦前期を通じて減価償却は実施されなかった。この点は次第に問題視されるようになり、昭和初期の帝国議会で幾度か議論されたものの、戦後に至るまで変わることはなかった。減価償却を実施しない理由として、膨大な事務コストがかかる、実際の資産取替時にその費用を計上すれば足りる、などの意見が挙げられたが、筆者は別の理由があったとみている。
昭和初期は、関東大震災後の不景気とそれに続く二度の恐慌のあおりを受けて、国の一般会計が逼迫していた時期であった。このため、開業以来常に黒字であった国鉄会計の利益を一般会計に繰り入れることが議論されていた。もちろん、かかる事態は国鉄としては避けたい。そこで、あえて減価償却をしないことで、「将来の固定資産取替のために、利益は全額留保しなければならない」という「言い訳」をつくったのである。もっとも、国鉄の内部留保は改良工事の原資でもあったため、この「言い訳」には一定の理があった。
しかし国鉄は、ついに昭和23年度より減価償却を開始した。これは発生主義による企業会計方式導入のためとのことであったが、昭和20年度に初の赤字を出したことが大いに影響していると考えられる。上記の「言い訳」は国鉄が黒字であって初めて意味をなすものであり、赤字が見込まれて利益の留保が困難であれば、減価償却によって取替資金を準備した方が国鉄にとって有益である。
今日では適正な期間損益計算のために理論化された減価償却であるが、その歴史を紐解くと、固定資産の取替という切実な課題に左右されていたことがわかる。
【略歴】
中村 将人(なかむら・まさと)。
中京大学総合政策学部准教授。
会計史。
北海道大学大学院経済学研究科博士後期課程修了(博士(経営学))。
1987年生まれ。
2022/12/08
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今年は日本に鉄道が開業してから150年という節目の年である。日本初の鉄道は、明治5年に明治政府が敷設・運営した新橋~横浜間鉄道である。このときの鉄道技術はイギリスから導入され、その資金もイギリスにおける外国債発行によって調達された。これに伴い、鉄道会計も次第にイギリスの会計制度が参照されるようになった。
イギリスの鉄道会社で考案された会計手法の一つが「減価償却」である。減価償却は、固定資産の価値費消分を価額から減じ、その耐用年数にわたって費用として計上する処理である。今日の会計学では、発生主義に基づいて費用と収益を適切に対応させた期間損益を計算することが減価償却の目的とされている。しかし、当時は別の目的が重要視されていた。
減価償却費は現金支出を伴わない費用であるため、利益を圧縮する一方で同額の資金が留保されていくこととなる。こうして耐用年数が終了する頃には、その固定資産の取得原価相当の資金が留保され、固定資産の取替に使うことができる(しばしば、内部留保は必ずしも現金の裏付けがないと説明されるが、当時の損益計算は現金主義に基づいており、内部留保に対応する現金が存在した)。これを「減価償却の自己金融効果」と呼ぶ。
さて、イギリスの鉄道会計制度を導入した日本の国鉄であったが、戦前期を通じて減価償却は実施されなかった。この点は次第に問題視されるようになり、昭和初期の帝国議会で幾度か議論されたものの、戦後に至るまで変わることはなかった。減価償却を実施しない理由として、膨大な事務コストがかかる、実際の資産取替時にその費用を計上すれば足りる、などの意見が挙げられたが、筆者は別の理由があったとみている。
昭和初期は、関東大震災後の不景気とそれに続く二度の恐慌のあおりを受けて、国の一般会計が逼迫していた時期であった。このため、開業以来常に黒字であった国鉄会計の利益を一般会計に繰り入れることが議論されていた。もちろん、かかる事態は国鉄としては避けたい。そこで、あえて減価償却をしないことで、「将来の固定資産取替のために、利益は全額留保しなければならない」という「言い訳」をつくったのである。もっとも、国鉄の内部留保は改良工事の原資でもあったため、この「言い訳」には一定の理があった。
しかし国鉄は、ついに昭和23年度より減価償却を開始した。これは発生主義による企業会計方式導入のためとのことであったが、昭和20年度に初の赤字を出したことが大いに影響していると考えられる。上記の「言い訳」は国鉄が黒字であって初めて意味をなすものであり、赤字が見込まれて利益の留保が困難であれば、減価償却によって取替資金を準備した方が国鉄にとって有益である。
今日では適正な期間損益計算のために理論化された減価償却であるが、その歴史を紐解くと、固定資産の取替という切実な課題に左右されていたことがわかる。
【略歴】
中村 将人(なかむら・まさと)。
中京大学総合政策学部准教授。
会計史。
北海道大学大学院経済学研究科博士後期課程修了(博士(経営学))。
1987年生まれ。
2022/12/08