「似ている?」
「巨人の肩の上から見渡す」

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法学部
髙野 慧太 准教授

「私がかなたを見渡せたのだとすれば、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ」と言ったのは万有引力を発見したニュートンだそうだが、芸術や文化、科学といった営為は、先人の積み重ねの上に成り立っている。しかし、他人の作品に似ていると著作権侵害に問われてしまうかもしれない。

 最近話題となったのが、金魚電話ボックスの模倣が著作権侵害か争われた事件である。この事件では、奈良県大和郡山市の柳町商店街に設置された「金魚電話ボックス」が、山本伸樹氏の作品「メッセージ」に酷似するとして著作権侵害が争われた。いずれも公衆電話ボックス様の水槽内を金魚が泳いでおり、水に浮いた受話器からは気泡が出ているというもので、酷似しているとされたのである(具体的な写真は、https://narapress.jp/message/ を参照)。

 ここで問題となったのは、両者で共通するのが「表現」か、それとも「アイデア」かである。「表現」であるためには一定の具体性が必要である。逆に、両作品を比較して、抽象的な特徴、すなわち、「アイデア」が共通するにすぎないとされれば、著作権侵害とはならない。これは、著作権法の分野で「アイデア表現二分論」と呼ばれる重大な問題である。既存の著作物の何らかの特徴を模倣していても、その特徴が抽象的な「アイデア」であれば、著作権侵害が否定されるわけである。ここで、芸術や文化、科学といった人間の営為は、既存の作品や成果をもとに発展することを想起されたい。例えば、かの有名な『モナ・リザ』は、(例えばラファエロなど)世界中の画家がこれをモチーフにした絵画を描いている。もし、「左右の手を交差して膝上に置いた、ミステリアスな微笑を浮かべた女性」という「モチーフ」をダビンチのみが独占できるとすれば、そういった絵画はすべて描かれなかったかもしれない。絵画の「画風」、推理小説の「トリック」、小説の「プロット」などは、もしそういった特徴に(著作者の死後70年という)長大な期間の独占を及ぼすと、それらの二次創作が過度に阻害されることが懸念され、「アイデア」だと理解されているのである。

 他方で、著作権は創作者の経済的利益を保護し、多様な創作のインセンティブを与えている。著作権法は、「より多くの作品を創作させる」という理念と、上記の「アイデア」利用を適法とする理念を調整しているのである。

 前述の「金魚電話ボックス」事件では、「公衆電話ボックス様の水槽内を金魚が泳いでいる」「水に浮いた受話器からは気泡が出ている」という特徴が「アイデア」か「表現」かが問題となったわけである。この点、地方裁判所と高等裁判所で判断が分かれており、どちらかを決めるのは微妙な事案だったといえよう。

 創作者のインセンティブと二次創作の確保のバランスは、著作権法だけでなく特許法など知的財産法全体の根本概念である。定期的に起こる「パクリ炎上」でも、利用されているのがアイデアなのか表現なのか、考えてみてはいかがだろうか。

【略歴】
髙野 慧太 (たかの・けいた)。
中京大学 法学部准教授。 
知的財産法.
神戸大学大学院法学研究科実務法律専攻修了。博士(法学)。
1992年生まれ。

  

2022/07/06

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