歴史研究をする意義
人々を誘うホームヘルプ施策のメカニズム

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現代社会学部
中嶌 洋 准教授

 介護・ケアの歴史は人類の出現とともに始まり、労り合いや助け合いの蓄積から各領域が形成された。だが、人類の長年の夢であったはずの長寿社会の到来が今、危機に瀕している。「福祉元年」(1973年)以降、「日本型福祉社会」づくりでは、家族を「含み資産」とみなし、政府の対応や社会保障制度はあくまでも自助の補完とされた。また、長寿社会対策大綱(1986年)が示した「長寿社会論」でもすべての高齢者が健康で自立していることを前提に社会像を描いている点に限界があった。

 このような政策的背景の下、わが国では、「家族こそが良いケアをする」という暗黙の想定が根付いている。だが、戦後日本の介護福祉実践の歴史を概観すると、在宅生活者のケアを全くの赤の他人(見知らぬ者)が行うという例として、いわゆる「ホームヘルプ・サービス(Home-help services)」が注目される。この取り組みは1956(昭和31)年4月、長野県上田市を中心に展開し、当時としては画期的であった。ここでは、①なぜ他人が担うホームヘルプ・ニーズが生成されたのか、②ホームヘルプ施策は人々の状況ではなく、人々の心情・心境をどのように変えていったのか、③窮状を生み出すメカニズムをホームヘルプ施策はどう後景に退かせてきたのか、の3点の問いが重要になる。

 歴史研究は、事実と解釈による二重構造に特徴があるが(Lynn Hunt=長谷川 2021:27)、介護・ケアの領域では比較的遅れている。その理由として、現場実践のみならず研究領域においても「配慮が必要でない人々」と「配慮が必要な人々」ではなく、「すでに配慮されている人々」と「未だに配慮されていない人々」という区分けが適応されている可能性があり、この枠組みから改めて社会構造を捉え直す必要があろう。言い換えれば、マクロ的で根本的な問題を不可視化し、ミクロ的な問題へと意識づけることで視野狭窄が図られようとする社会的構図やそうした施策に人々があまりにも順応し過ぎる特徴がそこにあるのなら、それはどのようなメカニズムに基づいているのかを探る必要がある。

 社会政策がしばしば「相互扶助」「助け合い」「協力・連帯」「共感」「共生」「包括ケア」などのいわゆる"感情言語"と結びつけられることが多いことにも慎重さが必要だ。「受苦の光景に人々の感情が突き動かされるだけなら、あるいは単に他者を思いやるだけで解決するかのように思ってしまうなら、その窮状を生み出しているメカニズムを後景に退かせる」(小川 2021:142)や、Hoshschild,Arlie R(=2000 石川・室伏)による、ケア労働における「二重搾取」の問題なども看過できない。

 そもそも調査・研究はいったい誰のためのものなのか。「専門性」「科学性」「客観性」「中立性」への闇雲な追求が窮状を生み出す根本的なメカニズムや本質を秘匿させてはならない。史実・通説とされてきた事柄を形成する史資料、関係性、時代性、地域性を立体的・重層的に問い直すこと、そして、ホームヘルプの担い手及び家族の方々からも生の声を収集・分析し、それらを摺り合わせつつ、よりマクロ的文脈へと意味づけ、総合的に分析・考察するところに一つの意義を見出せるのではないだろうか。

【略歴】
中嶌 洋 (なかしま・ひろし)。
中京大学 現代社会学部准教授。
社会福祉学・社会事業史。
上智大学大学院博士後期過程単位取得満期退学。
1974年生まれ。

 

  

2022/05/27

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