家計パネルデータの進展
我が国の調査 予算に課題

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深堀 遼太郎 経済学部准教授

 今年のアルフレッドノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞は、労働経済学への実証的貢献を理由にカード教授へ、また因果関係の分析への方法論的貢献を理由にアングリスト教授とインベンス教授へと授与される。三者に共通するのは、政策などが現実経済に与えた因果的効果についての画期的な測定手法を学界に知らしめたことである。ここではその手法や成果の概説は割愛し、『「原因と結果」の経済学』などの平易な一般書に譲る。

 筆者が専門とする労働経済学は、ミクロデータを用いた計量経済学的な実証研究が最も盛んな分野の一つであり、こうした新手法の恩恵を大いに得て、さらなる発展を遂げた。

 データの面で労働経済研究を見ると、パネルデータ分析がこの数十年で飛躍的に増えた。パネルデータとは、複数の対象について複数時点に渡って追跡的に情報を収集したものである。同一対象における政策介入前後時点の状態比較が正確にでき、カード教授らによる因果関係の識別戦略(自然実験)とも相性が良いため利用が一層促進された。加えて、近年の計量ソフトウェアの性能向上と普及によって、研究だけでなく授業での演習も行いやすくなった。パネルデータ分析は今では学部生にも身近なものになっている。

 ところが我が国の家計パネルデータの整備は、欧米を追う状況にある。アメリカでは1960年代に調査が始められたのに対し、我が国では嚆矢となる「消費生活に関するパネル調査」が開始されたのが1993年であり、厚生労働省、慶應義塾大学、大阪大学、東京大学などがそれぞれに特色ある調査を立ち上げたのは2000年代に入ってからであった。

 家計パネル調査の実施で重要なことの一つは継続性である。そもそも家計パネル調査は初年度と同一の個人または世帯を毎年調査していくものであり、観察年数が長いほど分析可能なテーマは広がる。その理由の一つは、各種ライフイベントへの対応や、調査期間中に生じた突発的な経済ショックの長期的影響など、同一個人の行動変化を多く拾えるようになるからだ。東日本大震災やコロナ危機においても、その前からパネル調査が実施されていたことが幸いし、日本家計への影響を詳細に分析した研究が生まれている。

 しかし末長い調査継続のためには安定財源や回答者からの理解・継続的協力が必要だ。特に我が国の課題は前者にある。海外の著名なパネル調査では、実施主体に対して政府が直接関与している場合が少なくないため、比較的安定して予算を確保できる。一方、我が国では、研究グループが時限的な研究費の獲得を懸命に積み重ねては逐次投入して原資とするケースが散見され、その獲得の成否が事業継続を左右する。回答協力を得るにも、事業期間が不明確であるのは不都合との指摘もある。

 家計パネル調査は実証研究の重要な基盤である。困難を乗り越えてこれを継続・発展させていくためには、国民からの理解と支持がますます欠かせないであろう。調査の有用性や研究成果について、専門家は社会への情報発信に一層努めていかなければならないと、自戒を込めつつ思う。

【略歴】

 深堀 遼太郎(ふかほり・りょうたろう) 中京大学経済学部准教授。
 慶應義塾大学大学院商学研究科後期博士課程単位取得退学。
 博士(商学)。
 労働経済学。
 1987年生まれ。

  

2021/11/04

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