創造する作品は芸術の価値に一石を投じる
メディア・アートの諸問題

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大泉 和文 工学部教授

 コロナ禍の状況が1年半を超え、現在第5波の渦中にある。ほぼ100年前のスペイン風邪流行時、ウイルスの存在は未だ推定段階であり、電子顕微鏡もなく可視化もできなかった。その後の医療や生命工学の進歩発展は著しく、ウイルスの変異も即座に把握可能となり、ワクチンも1年経たずして開発された。一方で、日々の感染対策は100年前と変わらず、手洗い・マスク・人流抑制であり、終息までにはスペイン風邪と同等の期間を要すると思われる。

 この1年間、日常生活では不要不急の用件が抑制を求められた。その結果、経済の落ち込みはリーマンショックを超えて戦後最大となった。この事実はいかに多くの経済活動が不要不急の件で成立しているかを示している。その一つに芸術活動も含まれている。筆者が関係する視覚芸術の分野でも展覧会の延期や中止が相次ぎ、自身も影響を受けた。芸術家支援におけるドイツを始めとする欧米の対応と日本の相違が話題となったが、この差は社会における芸術のポジションを反映している。

 芸術はいつの時代も最新のテクノロジーを採用して表現方法を革新し、作品テーマや芸術の枠組みの変革の点においても、科学・技術の写像となってきた。今日メディア・アートと称される分野は、その黎明期である1960年代はコンピュータ・アートと呼ばれた。筆者は作品制作の傍ら、日本の初期コンピュータ・アートを研究してきた。

 日本初のコンピュータ・グラフィックスが作られたのが、前回の東京オリンピック開催の1964年であり、作者は哲学者・美学者の川野洋(1925~2012年)であった事実はあまり知られていない。川野は人の手による数点の作品を画素に分解し、マルコフ過程によって各画素の多重連結を統計的に分析し、遷移確率マトリクスを作成した。これにモンテカルロ法による乱数を適用し、新たな色情報を決定していく方法であった。

 川野が最終的に目指した「K-システム」は、コンピュータが作品の制作と共にその評価も行う「コンピュータによるコンピュータのための芸術」であり、このコンピュータをAIに置き換えれば、まさに現在議論されている問題となる。川野の美学的実践は事実上中座したが、その実現は現在に引き継がれた大きな宿題である。

 現在既にあるAI芸術は、既存作品の深層学習を経て、ヴァリエーション展開する点において、川野が開発したフレーム内にある。違いはデータ数と解像度の差に過ぎない。もっともその中には、評価関数を実装するシステムもあるが、それは人間が作ったアルゴリズムによる。AIが教師なくして自ら評価アルゴリズムを生みだした時、真のAI芸術が完成する。

 先日、オンラインで開催された芸術とAIを巡るシンポジウムを聴講した。美術と理工系登壇者の間にある最大のギャップは、定性的にしか定義できない「芸術の価値」を共有できない点にあった。「意識」を実装したAIが自ら創造し評価する作品は、美学の根本問題である芸術の価値に一石を投ずる。同時にそもそも人間とは何かを写す鏡となるであろう。

【略歴】

 おおいずみ・かずふみ。現代美術、インスタレーション・アート。筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了。博士(メディア科学)。1964年生まれ。


 

2021/08/05

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