ナッジは環境対策に有効か 
進む行動経済学の活用

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内田 俊博 教授

 ナッジとは、行動経済学の知見を応用して、人々の行動を望ましい方向へ変えようとする試みである。ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授が中心となって提唱したアプローチで、人々の感情や意思決定のバイアスを考慮に入れることで、規制や税などの強制的な手段を用いずに、人々の行動を変えられるとする。最近ビジネスの現場で注目されることの多い行動経済学であるが、ナッジを中心とした政策への応用も各国で急速に進んでおり、日本では2017年に環境省が、ナッジを活用する専門部署であるナッジ・ユニットを正式に立ち上げている。

 ナッジによる環境対策の代表例として、家庭での節電や節水の促進が挙げられる。電気料金や水道料金の明細書を送付する際に、近所の家庭の平均使用量と比較する図を加えるのである。これは社会比較と言われる手法で、周囲との比較を強調することで、社会的に良い行動をとると心地良さを感じるような文脈を作り出し、望ましい行動変容を促す仕組みである。

 環境対策というと環境税や排出権取引といった強制的手法が主流であるが、それらの政策手段は制度の構築や運用・実施に大きなコストがかかる。ナッジは大がかりな制度を必要としないため費用対効果が高く、強制的手法を補完することが期待されている。

 しかし、ナッジの研究事例が積み重なるにつれ、その問題点も指摘されるようになってきた。一番の問題点は政策効果のばらつき大きいことで、個人の価値観・習慣・所得水準などが違うため、ナッジへの反応が文化や個人によって大きく異なる。

 また、環境分野に特有の問題もある。ナッジ政策は健康・医療・教育・ファイナンスなど様々な分野に応用されているが、これらの政策の大半は、各個人が意志の弱さやバイアスに惑わされずに合理的な行動をとれるよう、後押しするものである。それに対して環境分野では、個人の道徳心を利用して、社会のために行動を変えてもらうことが主目的となる。ヨーテボリ大学のカールソン教授らの最新の研究によると、道徳心に訴えるナッジは長期的な行動変化を維持することが難しく、時間とともに効果が減退していく傾向がある。

 ナッジによる環境対策は有効か、という問いに対する答えであるが、「やり方次第で有効になり得る」というのが現在の知見だと言える。例えば、価値観やさまざまな個人属性によりナッジの効果が異なるという問題点に対しては、近年進捗著しいデータサイエンスの力を活用して、レコメンドシステムのように一人ひとりに合わせたナッジを働きかける試みが始まっている。

 ナッジは行動経済学の応用と言えるが、伝統的な経済理論と比べて、行動経済学に基づく政策に関する実証研究はまだ少なく、わかっていないことも多い。今後のナッジ政策は、行動経済学や他分野の進展を取り入れながら、さらに発展していくことになるだろう。

内田 俊博 (うちだ としひろ) 中京大学経済学部教授
環境経済学、行動経済学
ジョージア州立大学大学院修了
1974年生まれ

2020/06/09

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