職場のコミュニケーション
人は思いを共有できるのか
松本友一郎 教授
人間はお互いのことをどれだけわかり合えるのか。職場という身近な場所においても、お互いのことがわかり合えなくて困ることはあるのではないだろうか。伝えたいことが伝えられない、相手の考えがわからないなど、コミュニケーションに関する悩みは多いと思われる。コミュニケーションの問題は個人の悩みだけではない。意思の疎通ができていなかったために、意思決定を誤ることもあれば、大きな事故が生じることもある。
では、なぜ人は自分の思っていることを伝えられないことがあるのか。個人が持っているコミュニケーションのスキルなど、いくつか理由は考えられる。しかし、ここでは特に職場という集団の要因を考えてみたい。
他に人がいない時や職場以外の場所でなら言えることも、職場では言えない、または、言わないようにしていることはないだろうか。たとえば、残業が常態化している職場において、残業を当然とする考えに異を唱えるのは抵抗を感じやすいであろう。たとえ残業を減らす具体的なアイデアを持っていたとしても、皆が残業を受け入れて働いているのに、自分だけ違う考えを述べるのはなかなか困難である。
しかし、そもそも自分以外の皆はすべての残業を受け入れているのであろうか。このような状況について、社会心理学では多元的無知という現象の存在が指摘されている。周りの人達が残業をしていれば、その人達は行動として残業を受け入れていると明確にいえる。そうすると、周りの人達が残業を当然とする考えも受け入れているように見えてしまう。そのため、自分は残業の常態化に否定的でも周囲に合わせて残業をする。
自分も目に見える行動としては残業を受け入れているため、周りの人の目には残業を当然とする考えを受け入れているように見えてしまう。こうして、お互いに、自分はちょっと違うと思いながら周囲に合わせているという状態が多元的無知と呼ばれる現象である。結果としては、誰もが残業の常態化に疑問を持ちながら、誰もそれを指摘しないまま、行動として残業を受け入れ続けるということになる。
以上より、たとえ思いが同じであってもそれが共有されずに、自分だけなのだろうかとお互いの思いに気付かぬまま日々を過ごしている可能性もある。いきなり職場全体に向けてとはいかないであろうが、自分の考えを周囲の人に少し話してみるのもよいかもしれない。ただ、そう考えているのは本当に自分だけという可能性もある。それはそれで、自分には無かった考えに触れる機会になるのではないだろうか。
筆者は、授業で受講生に必ず社会人へのインタビューを課しており、毎年、様々な回答を読んでいる。そこでいつも思うのは、新人もベテランも、どんな人も何かしら自分なりの考えを持っているということである。常に忙しく余裕はなかなかないかもしれないが、それでもお互いに考えていることを話すのは時に重要な意味を持つと思われる。
松本友一郎(まつもと ともいちろう)中京大学心理学部教授
組織心理学・社会心理学。
大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程退学。博士(人間科学)。
1977年生まれ。
2020/04/06
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松本友一郎 教授 |
人間はお互いのことをどれだけわかり合えるのか。職場という身近な場所においても、お互いのことがわかり合えなくて困ることはあるのではないだろうか。伝えたいことが伝えられない、相手の考えがわからないなど、コミュニケーションに関する悩みは多いと思われる。コミュニケーションの問題は個人の悩みだけではない。意思の疎通ができていなかったために、意思決定を誤ることもあれば、大きな事故が生じることもある。
では、なぜ人は自分の思っていることを伝えられないことがあるのか。個人が持っているコミュニケーションのスキルなど、いくつか理由は考えられる。しかし、ここでは特に職場という集団の要因を考えてみたい。
他に人がいない時や職場以外の場所でなら言えることも、職場では言えない、または、言わないようにしていることはないだろうか。たとえば、残業が常態化している職場において、残業を当然とする考えに異を唱えるのは抵抗を感じやすいであろう。たとえ残業を減らす具体的なアイデアを持っていたとしても、皆が残業を受け入れて働いているのに、自分だけ違う考えを述べるのはなかなか困難である。
しかし、そもそも自分以外の皆はすべての残業を受け入れているのであろうか。このような状況について、社会心理学では多元的無知という現象の存在が指摘されている。周りの人達が残業をしていれば、その人達は行動として残業を受け入れていると明確にいえる。そうすると、周りの人達が残業を当然とする考えも受け入れているように見えてしまう。そのため、自分は残業の常態化に否定的でも周囲に合わせて残業をする。
自分も目に見える行動としては残業を受け入れているため、周りの人の目には残業を当然とする考えを受け入れているように見えてしまう。こうして、お互いに、自分はちょっと違うと思いながら周囲に合わせているという状態が多元的無知と呼ばれる現象である。結果としては、誰もが残業の常態化に疑問を持ちながら、誰もそれを指摘しないまま、行動として残業を受け入れ続けるということになる。
以上より、たとえ思いが同じであってもそれが共有されずに、自分だけなのだろうかとお互いの思いに気付かぬまま日々を過ごしている可能性もある。いきなり職場全体に向けてとはいかないであろうが、自分の考えを周囲の人に少し話してみるのもよいかもしれない。ただ、そう考えているのは本当に自分だけという可能性もある。それはそれで、自分には無かった考えに触れる機会になるのではないだろうか。
筆者は、授業で受講生に必ず社会人へのインタビューを課しており、毎年、様々な回答を読んでいる。そこでいつも思うのは、新人もベテランも、どんな人も何かしら自分なりの考えを持っているということである。常に忙しく余裕はなかなかないかもしれないが、それでもお互いに考えていることを話すのは時に重要な意味を持つと思われる。
松本友一郎(まつもと ともいちろう)中京大学心理学部教授
組織心理学・社会心理学。
大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程退学。博士(人間科学)。
1977年生まれ。
2020/04/06