錯覚からわかる脳の賢さ
認識の仕組みを科学する

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高橋 康介 准教授

 「しんねん あけしまて おでめとう ござまいす」

 どこかおかしなことに気がついただろうか。実はこの文、字の順番がバラバラに入れ替わっている。言われれば明らかに気づく間違いを、人は簡単に見落としてしまう。

 次に机の絵を見てみよう。左と右の机、同じ形に見えるだろうか。どこからどう見ても左は細長く、右はほぼ真四角の机にしか見えない。しかしふたつの机の天板は、実は全く同じ大さきと形の平行四辺形である(信じられない方は、切り抜いて重ねてみて欲しい)。これはシェパード錯視と呼ばれる有名な現象である。

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 順番の間違いを見落としてしまったり、同じ四角が全然違う形に見えたり、人の認識は普段から錯視や錯覚に溢れている。錯視や錯覚と聞くと、多くの人は「こんなことにだまされて、脳ってなんて馬鹿なんだろう」と思うかもしれない。果たして本当にそうだろうか?

 少し見方を変えると、錯視や錯覚が実は脳の賢さを反映していることがわかってくる。誤字脱字が出てくるたびに、何が書いてあるのかと頭を使って考えていたら、いつまでたっても読み終わらない。しかし実際は、多少の間違いがあっても、その文章の意味を簡単に理解することができる(文章を校正する時はこの能力が邪魔になる)。つまり不十分で不完全でノイズまみれの情報から正しい姿を瞬時に読み取る能力が反映されていると言える。

 

 シェパード錯視の場合は、確かに絵に描かれている平行辺四形は左も右も同じ形である。しかし人が行動する上で重要なのは、絵の中の平行四辺形の形(専門的には「網膜像」)を認識することではなく、机そのものの形を認識することである。そう考えれば、左の机が細長く、右の机が四角く見えるのは正しい。平面の絵から自動的に視点と机の位置関係を計算に入れて立体としての机の形状を認識しているのである。

 このように見落としや見違間いに思えてしまうようなことでも、その裏には目的にかなった仕組みが隠されていることもある。そして錯視や錯覚は脳がいかに賢く世界を認識しているかを教えてくれる。「だまされるなんて、脳ってなんて馬鹿なんだろう」という思い込みこそが錯覚なのである。

 実は記事の中でも何箇所か文字の順番が入れ替えてある。気づいただろうか?

高橋 康介(たかはし こうすけ)中京大学心理学部 准教授

京都大学大学院情報学研究科博士後期課程学修退学
博士(情報学、京都大学)
1978年生まれ

2019/01/10

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