人間をよりよく知ること
知覚の個人差を探求する

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近藤 洋史 教授

 人間の個人差というと、記憶能力や運動技能の違いを思い浮かべることが多い。もちろん、脳への入力段階である視聴覚の情報処理においても個人差は存在する。年齢とともに視力は低下し、話者の音声が聴き取りにくくなる。さらに、加齢とは関わりなく、入力された情報を意味づけする知覚の段階においても個々の特性が表れる。

 たとえば、京都の禅刹である龍安寺の石庭を考えてみよう。そこには、白砂の上に大小の石がいくつか配されている。この情景を眺めていると、さまざまな知覚的な解釈が生じる。ある人には、「大海の島々」や「夜空の星々」に見えるかもしれない。また別の人は、我が子を連れて川を渡る虎の姿に見立てるかもしれない。

 この事例は、環境からの入力情報が同じであっても、個々の脳内に構成される知覚世界は千差万別であることを端的に示している。知覚の個人差は、自己意識や主観性がどのようにして生じるかという問題とも相俟って、現代の心理学や神経科学における中心的な研究課題のひとつとなっている。

 このような研究の流れもあり、英国王立協会からの招待を受けて、私は知覚の個人差をテーマにした特集号の編纂を企画した。第一線で活躍する日米欧の研究者約二十名から学術論文を寄稿してもらい、昨年刊行することができた。そこでは、個人差が生じる心理学的な要因はもとより、脳活動や遺伝子の働きの違いなどが検討された。そして、我々が事物の見えや聞こえという知覚世界を形成する際、意外にも生得的な要因が大きく関与していることがわかってきた。

 最近、実験をさらに進めて、その人固有の生体リズムが知覚特性や注意機能を規定しているのではないかという考えに至っている。そのリズムが行動パターンや性格、知能までも特徴づけているならば大変興味深い。また、バーチャル・リアリティ環境で自己意識が変容するか否かを検討しようとも考えている。

 十九世紀後半、実験心理学は自己観察(内観)の学問として創始された。その後の精神分析学では、心の働きにおける無意識の部分がクローズアップされた。しかし、二十世紀前半になって、入出力関係だけを重視する行動主義が浸透し、心の内面は科学的に外部から観察できないものとして顧みられなくなった。

 二十世紀後半に入ると、計算機科学の進展とともに、脳とコンピューターの類似性が取り沙汰されるようになる。この認知革命の波は心理学分野にも押し寄せ、心を実験的に探求しようという動きにつながった。そして現在、心理学はfMRIなどの脳機能計測技術と結びつき、私秘的な意識や経験が研究の俎上に載せられている。

 科学的な論考と言っても人間の所産であり、その時代の思想上の制約や技術的な限界の影響を受ける。また、便利な道具が発明されても、それを使いこなすのは人間である。したがって、個⼈ごとの知覚特性や注意機能をよく吟味することで、より快適な視聴覚デバイス(例:スマートグラス)の設計や開発につながると期待している。

近藤 洋史(こんどう ひろひと)・中京大学心理学部教授

実験心理学、認知神経科学

京都大学大学院文学研究科博士後期課程学修退学、博士(文学、京都大学)

1973年生まれ

2018/12/06

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