刑事法の向こう側に人
よい一面だけ注視は悲劇も

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愛知 正博 教授

 日本における列車の定刻運行は世界的に定評がある。最近では、そうしたノウハウを外国で取り入れる動きがあることも報じられている。しかし、定刻へのこだわりが悲劇を招くこともある。2005年のJR宝塚線の脱線事故が記憶に新しいが、残念ながら昔から繰り返されている。

 刑事法学で有名なガソリンカー(動力がガソリンエンジンの車両)転覆事件(1939年発生)も、その例である。注目の理由は、刑法に明記されていないガソリンカーが「汽車」だとされ、運転手が汽車転覆の責任を問われたからである。「法に規定されていなければ処罰されない」という刑法の大原則(罪刑法定主義)との関係が争われた。その事故が、やはり遅延が元で発生したのである。

 現在の三重県津市久居地区付近にあった中勢鉄道(のちに廃線)が舞台である。戦争が色濃くなる中、「興亜奉公日」の行事のため始業が早まった高等女学校の生徒たちが、いつもより早い車両に乗ろうと殺到した。発車が6分ほど遅れて、取り返そうと運転手が速度を上げたため、急カーブでバランスを崩して転覆した。死傷者が出る惨事となった。

 定刻運行を目指すのは、決して悪いことではない。当時は、国の行事に対する強い配慮も通例だろう。間に合うように着きたいという生徒の思いを汲んで、先を急ぐ気遣いも褒められてよい話である。しかし、仇(あだ)になった。良いところのはずが、それだけにとらわれすぎると災厄の発端となる。長所と言えそうな気質が、実は危険と隣り合わせなのである。

 話は飛ぶが、今月1日から刑事訴訟法における司法取引(350条の2以下)が始まった。これも、被疑者等への対応として適切そうに見えて、半面で司法を誤らせる懸念がある。取調べで反省し、他の者の隠れた関与を明かして、事件の全容究明に協力すれば、その者を寛大に扱うことも、必ずしも間違いではないだろう。これを正面からとらえ、そうした協力と特別扱いとをセットで合意する制度である。だが、疑いをかけられた者が、特別扱いを受けようと、虚偽を述べて他人を巻き込むときはどうか。これまでも、他者との共同犯行を認める供述(共犯者の自白)は、偽りを含みやすいと心配されてきた。日本では自白する姿を重んじる。取引制度は、無実の者が罪を着せられる災難に遭うのを促進しかねない。

 リニア中央新幹線工事を巡る談合疑惑事件においても、公正取引委員会への「不正」自主申告の有無により、関係者の起訴・不起訴の取扱いが別れた。今後は、犯罪組織による薬物・銃器犯罪などだけでなく、経済事犯が広く司法取引の対象とされることも気がかりだ。

 人間も制度も、長所と短所は表裏の関係にある。ものの一面だけ見ていては悲劇につながりかねない。しかも、人は気に留めた面だけに目を奪われがちである。「落とし穴」に用心する気持ちだけでは十分安全にならないのが厄介だ。「人の現実」を踏まえた工夫の必要が、刑事問題にも残る。

愛知 正博(あいち まさひろ)中京大学法学部・大学院法学研究科教授

刑事法学

名古屋大学大学院法学研究科博士前期課程修了

1952年生まれ

2018/06/20

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