文化資本とビルバオ効果
ミュージアムの可能性

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亀井 哲也 教授

 昨年の春、日本のミュージアム界は政治家による「学芸員は癌」発言に随分と揺さぶられた。学芸員課程担当であり、元博物館学芸員の身としては、他人事として看過できず、博物館経営論の講義の中で教材として取り上げた。学芸員の資格を得んがために受講する学生たちがこの発言を批判することは容易であり、あえてこの発言を擁護するならばどう捉えることができるかを問うた。「観光振興のために文化財の活用を図ろうとしても学芸員が邪魔するというイメージを、世に広めるためのパフォーマンスだった」という意見が多かった。昨年よく耳にした「印象操作」の影響だろうか。

 ミュージアムとそこに勤める学芸員には、収蔵する文化財の鑑賞・理解の機会を広くひとびとに提供する義務とともに、文化財を過去から受け継ぎ未来へ受け渡すまで大切に預かる責任がある。その役割は、観光振興や町おこしを邪魔する者ではなく、むしろその担い手と言えよう。

 「ビルバオ効果」という言葉がある。ビルバオとは、工業・港湾都市として栄えたスペイン北部の都市である。1980年代に工業危機に陥り、産業構造の変化から空洞化が進み、人口が流出し、財政が立ち行かなくなった街である。そのビルバオ市が甦った姿に世界のひとびとは驚嘆し、立て直しのために市が選択した手段を称賛する意味で、その名を冠した「ビルバオ効果」という言葉が生まれた。

 ビルバオ市は、新たな工場ではなく、美術館を誘致して都市再生に成功した。ニューヨーク・グッゲンハイム美術館を運営する財団との連携を選択したのである。市はさまざまな好条件を財団に提供した。当時、財団もまた財政問題を抱え、収蔵する膨大な作品群を文化資本と捉え、グローバル化戦略に活路を求めていた。双方にとってリスクのある選択であったろうが、1997年に開館したビルバオ・グッゲンハイム美術館が想定以上の入館者を集め、その後も維持する成功を見せた。「ビルバオ効果」とは、こうした文化的な基盤整備が、都市開発と経済の活性化の双方を達成する戦略となり得ることを意味する。

 ビルバオ・グッゲンハイム美術館の成功には、著名建築家による斬新なデザインの建物の建設も寄与している。フランク・ゲーリーが設計した新美術館の怪異な姿は、ひとびとを圧倒しつつ、高い評価を獲得し、ビルバオ市の新たなシンボルとなっている。財団との契約、新美術館の建設といった文化的基盤整備への投資にはさまざまな反対意見もあったようだが、現在のビルバオ市は息を吹き返し、この新美術館を中心とした観光都市に生まれ変わっている。

 この都市再生のプロセスを見るにつけ、文化財とそれを守り活かす学芸員、双方が文化資本であり、その可能性の大きさに気づかされる。そしてまた、それら文化資本を活用・活躍させる良質な政治的リーダーシップの重要性にも気づかされる。

亀井 哲也(かめい てつや)中京大学現代社会学部 教授

文化人類学・博物館学
埼玉大学大学院修了
1964年生まれ

2018/05/17

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