雑多であることの豊かさ
異世代間の交流を生み出す

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小島 康生 教授

 私たちの社会では,必要なもの,欲しいものを手に入れるには,それが手に入るところへ行くのが最も効率がよい。本なら書店,パンならパン屋へ行けばよい。食事も,フレンチ,うどん屋などピンポイントでその店へ行けば,食べたいものが確実に食べられる。

 これと好対照なのが,大型ディスカウントストアのような,いわゆる"何でも屋"である。24時間営業の店も多く,いつでも何でも手に入れられるのがよい。最近は,薬局でも日用品のほか総菜,酒類まで置いているところがあり,かくいう私も,薬局でビールと胃腸薬を一緒に買うといったおかしなことをよくしている。こういう店では,必要なものが見つからず困ることも多いのだが,掘り出し物を見つける楽しみのほうがむしろ勝る。雑多なものに一度に触れられることのメリットといってもよいだろう。

 話は変わるが,私の専門分野は発達心理学である。端的に言えば,赤ちゃんからお年寄りまで様々な年齢の人々の心の働きや対人関係を扱うのがこの学問だが,なかでも私の関心領域は,子どものいる人の心理や子どもを取り巻く環境である。

 仕事柄,私はよく街で人の観察をするのだが,そこで気づくのは,世代や属性によって人の居場所が体よく区画されている,ということである。動物学でいう"棲み分け"に近い現象である。例えば,子ども連れの人がよく出かける場所は,大学生の居場所とはほぼ重ならない。小学生,社会人,高齢者が過ごす場所も重なるところは少なく,これらの人々が交流する機会はほぼないといってよいだろう。そして,反対に考えるとそれは,場所ごとに人の均質化が進んでいることになる。多様な背景を持った人どうしが交流することはますます減っているのではないか。

 ところで,私はこの10年ほど,学生たちを赤ちゃんのいる家庭に訪問させる取り組みを続けている。発端は,若者たちが赤ちゃんや子どもに触れる機会を持てなくなっていることへの危機感にある。子どもとの接触経験の不足は,自分が子育て世代になったときに大きな弊害となる。過剰な育児ストレスや突発的な虐待の背景には,過去に乳幼児とあまりふれあっていないことがあるという指摘も多い。

 成果は上々である。通常の大学生活ではまず接することのない赤ちゃんとの関わりは,学生に多くの学びと成長を促す。興味深いのは,子育て中の親にも,この出会いが肯定的に受けとめられている点である。「リフレッシュできた」などの感想が多く,異世代との交流がwin-winの効果をもたらしているのは間違いなさそうである。機能的に区画の進んだまちのしくみや人間関係をあえてごちゃ混ぜにすることで生まれる化学反応が,人の成長や気づきにつながることを実感している。ついでに言うと,参加者の反応や様子を見ながら,じつは私もまた新たな気づきを得たり喜びを感じたりすることが多い。その意味でこの取り組みは,もう一つwinを加えてもよいぐらいなのではないかと自負している。

小島 康生(こじま やすお)中京大学 心理学部教授

発達心理学

大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了(博士・人間科学)

1969年生まれ

2017/07/13

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