法哲学の“切り口”から
同性婚の是非論

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土井 崇弘教授

 最近、同性婚を法的に認めるべきかという問題が、注目を集めている。いわゆる渋谷区同性パートナーシップ条例が2015年4月1日から施行され、同年6月26日には米国連邦最高裁が同性カップルに婚姻する基本的権利を認める判決を下した。そこで、「法および法学の根本問題について原理的基礎的に考察する学問」などと定義される法哲学の"切り口"から、この問題の論じ方を示そう。

 この問題をめぐってよく目にするのは、個人の自由と平等に基づいて同性婚に賛成するリベラルと、社会の伝統や家族の本質的価値に基づいて同性婚に反対する保守派の対立である。だが、この問題に答えるために同性婚の賛否だけを論じることで十分なのか。例えば、同性婚に限らず、なぜ一夫多妻・一妻多夫・群婚などは法的に認められないのか。そもそも、法的に認められる婚姻を一対の異性間に限定する理由は何か。法哲学の"切り口"からみると、この問題に注意深く答えるためには、「婚姻の目的とは何か?」「国家が婚姻を法的に制度化するのはなぜか?」「国家による婚姻の法的制度化はそもそも必要か?」といった問題を論じなければならない。

 この問題を婚姻の目的から論ずるサンデルは、婚姻の第一の目的は生殖だと主張する同性婚反対論に対して、現行の制度や規定では婚姻に生殖能力が求められていないと反論し、「婚姻の本質は、2人のパートナーの独占的愛情関係であり、それは2人が異性であっても同性であってもそうである」と主張する。

 では、国家が婚姻を法的に制度化するのはなぜか。それを肯定的に捉える論者は、その理由を次のように説明する。すなわち、婚姻のあり方を含む家族のあり方は、社会のあり方を決定づける重要な事柄である。したがって、家族の内部の事柄は私事であるが、それをどのように法的制度化しどのような家族法をもつかは私事ではあり得ない、と。

 これに対して、他人に危害を及ぼさないかぎり個人の道徳的領域に介入することは余計なお世話だと主張するリバタリアンは、「そもそも国家による婚姻の法的制度化は本当に必要か?」という根源的な問題提起に目を向ける。リバタリアンの主張によれば、一夫一婦制だけを法的な婚姻制度として認めることは国家の中立性と相容れず、さらにいえば、そもそも婚姻を法的に制度化すべき理由は明らかでない。それゆえ、法律婚制度そのものを廃止し、婚姻を私事化すべきという結論が導かれる。

 このように法哲学は、具体的な事例や問いに対して、"少し引いた目線"から、「そもそも~とは何か?」「なぜ~といえるのか?」「全体的な状況を踏まえたうえで~をどうすべきか?」といった問題を設定したうえで、多面的に注意深く検討を加える。このような法哲学の"切り口"に少しでも魅力を感じた読者には、例えば瀧川編『問いかける法哲学』(法律文化社)のような著作を手に取ることをお勧めしたい。

土井 崇弘 (どい たかひろ) 中京大学 法学部教授

法哲学
京都大学大学院法学研究科博士後期課程研究指導認定退学
1975年生まれ

2017/01/24

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