グローバル時代のローカル発想とは
地域学の今昔
寺岡 寛 経営学部教授

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寺岡 寛教授

 数年まえのことだ。ある大学から、社会人コースの集中講義を頼まれた。受講者のほとんどは、中小企業経営者であると聞いた。勤務校では、中小企業論を担当している。ではというので、引き受けた。

 このあとに、注文がついた。「名古屋」の中小企業の特徴に焦点を絞ってくれ、というのだ。中小企業を論じるのに、地域性がどの程度、反映されているのか。実は、そのようなことを、それまで考えたことがなかった。

 中小企業の経営のやり方に、はたして顕著な地域差があるのか。東京や大阪と、名古屋のやり方は大きく違うのか。講義ノートづくりに四苦八苦した。

 経営と地域性との関連は、まことに厄介だ。考えてみれば、なんでも「グローバル化」で、経営のやり方が語られる。そうした時代に、地域性(ローカル)の問い掛けは新鮮である。地域の特徴などは、江戸時代の商家など経営史のなかで論じられても、平成のいまでは語られない。

 交通や通信の制約性があった時代、人びとの行き来も限られた時代、文化とともに商売のやり方にも地域性があった。製品は、地域内の原材料に大きく依存した。デザインなども、地域の暮らしぶりに密着していた。流通も、海上交通に比べ、陸上交通の発達が遅かった日本では、地域内流通がもっぱらであった。

 いまでは、原材料は世界各地からやってくる。流通コストも、大型コンテナ船の登場であっという間に引き下がった。まさに、いまはグローバル化の時代である。日本の伝統的製品も、いまでは中国やベトナムで生産されている。年配の人はびっくりするかもしれない。だが、若い学生たちに喋っても、いまでは驚かない。というより、無関心だ。若い人たちは伝統製品を身につけなくなったからだ。

 では、若い学生たちもグローバルな活躍を望んでいるのだろうか。とくに、名古屋では、若い人たちの地元志向は強い。つまり、グローバルの時代は、消費の面で感じても、働く場はまた別というわけである。

 考えてみれば、地域学がもてはされた時代があった。いまでは、忘れられた感がある。日本の高度経済成長期とその余波が続いた時代である。日本国内の「内なるグローバル化」時代であった。正確には「都市集中化」である。人は地方から三大都市圏へと、民族大移動のように移動した。やがて、三大都市圏から一大都市圏=東京へと向かった。

 この時代、大阪学、東京学、名古屋学という名前が冠された本がよく出版された。これは、移動の先で予想されるカルチャーショックへの準備本みたいなものであった。いまや、大都市ではその二代目あるいは三代目が生活する。彼らにとって、大都市が故郷になった。いまでは、地域学は地元グルメ本に横滑りした。

 それでは、地域学が不要になったのか。結論は否である。とりわけ、経営という面からみれば、経営地域学が必要となってきている。とりわけ、世界各地に事業所を展開できない中小企業にとっては、地域でどのようにして生き残るのか。地域生き残り学としての地域学が必要だ。

 

寺岡 寛 (てらおか ひろし)  中京大学 経営学部教授

中小企業論
大阪市立大学経済学部卒
経済学博士(京都大学
1951年生まれ

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2016/07/20

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