ヒューマンエラーから安全文化へ
組織風土で大事故を防ぐ
尾入 正哲 心理学部教授
尾入教授 |
パイロットの操縦ミスによる航空機事故、作業者の手違いによる工場や建築現場の事故など、大きな事故・災害に結びつく人間の失敗をヒューマンエラーという。ヒューマンエラーは見まちがい・ど忘れ・思い込みのような人間の頭の働きの不具合が原因であり、以前から視覚や記憶を扱う心理学の研究対象とされてきた。特に近年は事故防止のために、組織や企業の中に潜む「安全文化」が重要視されており、その醸成が課題になっている。
安全文化という語は、チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故により世界的に注目されるようになった。この事故では発電所のスタッフが、上層部の意向や業務成績を上げることばかりを重視して危険な現場実験を強行した。すなわち、安全を第一に考える風土=文化が組織全体に不足し、目先の業績にだけにとらわれていたことが大惨事を招いたのである。そこで個々人のヒューマンエラーを防ぐだけでなく、エラーや事故の背景にある組織文化を改善することが急務とされるようになった。
「文化」や「風土」は抽象的なものであり、目には見えないものであるからそれを定義したり育てたりすることは難しい。しかし、いろいろな研究をまとめてみると、以下の2点が安全文化の醸成のために必要なことであると思われる。
ひとつは、今は未だ表れていない危険性を事前に感じ取る想像力を育てることである。これはいわゆる危険予知と似ているが、危険予知が個々の作業場面に即した具体的な危険の予想であるのに対して、安全文化における想像力は、さらに一歩進んで「想定外の危険をも想像できる」能力であるといえる。例えば、玉掛け作業で吊り荷が傾いて落下するというのは危険予知の範囲内である。しかし、吊ったワイヤーが突然切れる、クレーン自体が倒れたり折れたりする、といった所まで心配することはなかなか難しいだろう。だが、近年の大きな事故は「想定外」のトラブルが原因となっていることも事実である。危険に対する想像力の範囲をできるだけ広げる教育・訓練が必要である。
二つめは、組織内での各自の社会的スキルを向上させることである。誰かが新たな未知のリスクに気づいたとしても、それを同僚や上司に上手く伝えて、社内全体で必要な対策をとらないと意味がない。ただ声高に想像上の危険を叫ぶだけでは「あいつは考えすぎ」「また『オオカミが来た』だろう」と周りから冷笑されるだけである。必要なら根回しや取引といったテクニックを使って周囲を説得し、見えない危険をアピールする努力が大切である。技術系の人は、こうした人間関係やコミュニケーションのスキルに不得手な場合が少なくないが、こと安全に関わる問題では事故が起きてからでは遅い。「反対する上司を説得する能力」や「安全について率直に話し合えるムード」を育てることも、安全文化の実現のためには求められる。
【略 歴】
尾入 正哲(おいり まさあき)中京大学 心理学部 教授
産業心理学・認知心理学
京都大学大学院文学研究科心理学専攻博士課程中退。文学修士。
1957年生まれ