別姓の選択は可能となるか
私には2つのハンコがある
30年以上も前のことである。あるカップルが婚姻届を出そうとしていた。届出の用紙には、「婚姻後の夫婦の氏」として、「夫の氏」か「妻の氏」を選択する項目がある。どちらを選んでもよいのだが、どちらかを選ばなければならない。多くのカップルは、夫の氏を選んでいた。
このカップルは、いずれもフルタイムで働いていたが、婚姻により姓が変わると、「改姓」によるさまざまな手続が必要となる。2人の間の相談で、夫の氏を選択し、婚姻届に記述して、役所に提出した。
「妻」となった者は、仕事上も使えるところでは、「旧姓」を「通称」として使用した。しかし、婚姻したことにより、「改姓」を用いなければならないことが多くあった。結局、「妻」は、「旧姓」と「改姓」の二つを使い分けながら、捺印(なついん)のためのハンコも二つ必要となった。「私には二つのハンコがある」が、口癖となった。
数年後の1996年に、法制審議会が出した答申の中で、「選択的夫婦別氏制度」の導入が提言され、「夫婦の氏」を定める民法などを改正する法案が準備された。だが、国会提出にはいたらなかった。
民法750条は、「夫婦同氏」について定めている。夫婦になろうとする者同士の「合意」で、どちらか一方の姓を夫婦の氏として決めることになる。たしかに、法的にはどちらの姓を選んでもよいので、「平等」といえる。しかし、今でも、95%の夫婦が夫の氏を夫婦の氏として選び、妻が姓を改めている。
「改姓」によって、一人の人間としてのアイデンティティーの喪失を感じたり、日常生活や仕事の面で不都合が生じていたりと、負担や気苦労を感じる人がいる。その多くは、改姓した「妻」の側だ。多くの企業で、「旧姓使用」が認められるようになったとはいえ、「旧姓使用」による不便もあるようだ。
「夫婦同氏」を定める規定が、憲法の保障する「個人の尊厳」や「両性の平等」などに反するのではないかが争われた裁判がある。最高裁は、2015年大法廷判決や21年大法廷決定において、違憲ではないと判示した。しかし、「選択的夫婦別氏制度」に合理性がないと判断したわけではなく、夫婦の氏のあり方は、国会で議論されるべきとしたものである。
昨年10月に施行された衆院選や、その前に実施された自民党総裁選でも、選択的夫婦別姓制度の導入が話題となった。多くの野党が賛意を示す中で、最大与党の自民党は慎重姿勢を崩してはいない。
経団連が、昨年6月に選択的夫婦別姓制度の早期実現を求める提言を政府に行い、また、国連の女性差別撤廃委員会が、10月にその導入を政府に勧告した。最近の国民世論においても、別姓か同姓か選べる制度の導入を支持する意見が多くなっている。さて、国会の「決断」は、いつなされるのであろうか。
30数年前に婚姻届を提出した「カップル」は、ともに元気で、今もそれぞれ仕事を続けている。しかし、妻は、実際に使う機会が少なくなったとはいえ、あいかわらず「二つのハンコ」を持っている。
【略歴】
名前:横尾 日出雄(よこお ひでお)
中京大学法学部教授
専門分野:憲法学
最終学歴:中央大学大学院 法学研究科 博士後期課程 満期退学
西暦生年:1958年