「寄贈品がモノ語る一世紀」 ―梅村学園100周年に向けて―

 学校法人梅村学園は、2023年の学園創立100周年に向けて、学園各校の教育・研究の歴史を調べ、学園史を制作します。100周年記念事業への協力の呼びかけに応じた同窓生からは、メダルなどの寄贈が相次ぎ、在学時代の思い出も語っていただいています。いずれも当時の活動の成果を「モノ語る」貴重な記録です。その一部を中京大学名古屋キャンパス本部棟の1階ロビーで展示しています。

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   メダルやバッジなど貴重な活動記録を見る来館者

 

播磨純代さん(HP掲載用).jpg

 中京大学体育学部を1966年に卒業した徳島市の播磨(旧姓阿部)純代さん=写真左=は、陸上競技部の女子チームで選手、主務、女子監督という三つの役割を経験しました。1年生の時に全日本インカレの400㍍リレーで2位、3年生からマネジャーに転じ、全日本インカレで2年連続総合優勝という偉業を支えました。卒業後1年間、女子監督を務めた後、高校教員となりました。インカレ優勝の時に贈られた「寄贈 マネジャー 阿部純代選手」という刻印の入ったトロフィーをはじめ、各大会のメダルなど多数寄せていただきました。「選手、主務、監督の経験が、37年間の教員生活に役立ちました」と話しています。

岡田洋一さん(HP掲載用).jpg

 中京商業高校を1956年に卒業した愛知県豊橋市の岡田洋一さん=写真右=は、オリンピック代表候補にもなった水泳選手でした。1年生の時、アジアジュニア大会で自由形100㍍1位、400㍍2位となり、獲得したメダルを学園に贈っていただきました。同時に開催された「全日本選手権大会」のメダルを代用したものです。「当時は物のない時代でしたから」と岡田さん。往時がしのばれます。

 岡田さんは、友人の野球選手だった川島廣之さん(名古屋市)にも声をかけていただきました。川島さんは1954(昭和29)年の夏の甲子園大会で中京商業高校野球部が戦後初の優勝を飾った時の一塁手です。優勝記念のメダルを多数寄せてもらいました。

また、中京大学の卒業生では、村上八郎さん(1958年商学部卒)が愛知大学野球リーグ戦で硬式野球部が初優勝した時の記念ペナント、渡邊勇さん(1967年商学部卒)は珠算部のハッピ、田中英純さん(1980年法学部卒)は学生寮だった富士見寮のハッピを寄贈されました。どの寄贈品にも、当時の熱気がこもっています。

 このほか、学園の歴史をたどった年表「梅村学園一世紀の軌跡」、梅村学園の最初の学校となる中京商業学校が1923(大正12)年に開校して3年後に校舎などの施設が整った際に配布された、「開校記念写真帖」を展示しています。

 2018年1月に野球殿堂博物館が野球殿堂入りを発表した硬式野球部指導者の瀧正男さん(1921年―2012年)の業績も紹介しています。さらに、1923年アムステルダム五輪の十種競技12位のオリンピアンでありながら、独特のスポーツ墨絵を完成させた斎辰雄さん(1904年―1967年、中京大学体育学部長、陸上競技部部長など歴任)の作品も展示しています。

寄贈品がモノ語る、梅村学園一世紀の歴史を見て、感じていただければ幸いです。

問い合わせ先 中京大学学園史室

052-835-8698

2018/06/04

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