青年海外協力隊のボランティア説明会 総合政策学部OBの杉山さんが講演 学生50人聴講

 国際協力機構(JICA)青年海外協力隊の活動について、中京大学生と中京大OBを対象にした説明会が2月16日、豊田キャンパス411教室で開かれた。テーマは「国際協力というシゴト」。2013年7月から昨年7月まで2年4か月にわたって、西アフリカのブルキナファソで野球を通じで青少年育成の仕事をした本学OBの杉山弘樹さん(28)=写真左=が講師を務めた。会場には名古屋キャンパスから国際英語、国際教養学部などの学生も訪れ、約50人が杉山さんの熱弁に聞き入った。

青年海外協力隊説明会 講演者.jpgのサムネール画像 杉山さんは2010年3月総合政策学部卒業。在学中に読んだ「世界がもし100人の村だったら」という本がきっかけで青年海外協力隊を志したという。本には、100人のうち大学に行けるのはたった1人(1992年)で、5歳未満での死亡が8人などという世界の現実が記されていたといい、「僕はなんて恵まれているのだろう」と思い、「勝手な使命感を受けてしまった」と笑顔を見せた。

 ところが、杉山さんはすんなりと協力隊員になれたわけではない。春と秋、年2回の募集に4回応募したもののいずれも不合格になった。試験では、高度な語学力などが求められているわけではない。杉山さんは、派遣を希望する国・地域に対するイメージ不足(知識不足)があった、と振り返る。派遣する側としては、原則2年の、先進国とは全く違う海外生活がこなせるかどうかに不安を感じたようだ。

 杉山さんはその後、いったん就職した後、再度挑戦した。派遣先での具体的な活動や生活のイメージをしっかりと持って、面接に臨んだところ、合格した。職種の野球は、小学校低学年で始め、静岡県の高校時代に硬式野球に打ち込んだことから選んだ。ブルキナファソは国民の平均年収6万円という世界最貧国の一つ。野球人口は400人。小中高生の指導に際して、①時間を守る②道具を大切にする③相手を尊重する――を柱と決めた。ブルキナファソの食事代などは日本とは比較にならないほど安いが、楽しいこともあれば、そうでないこともあるのは日本と同じ。行ってみて初めて、人間は考えること感じることは同じだと芯から分かった。それまでは無意識のうちに先進国の優位性を感じ、「上から目線」になっていたのではないだろうか、と感じた。

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             学生たちに説明する杉山さん

 またあるとき、現地に大雨が降った。革製のボールとグローブが濡れ、水を吸って使えなくなった。道具の管理が担当の少年を、杉山さんは叱った。「ごめんなさい」と少年は謝った。しばらく経ち、また強い雨が降った。杉山さんは少年の家に行ってみた。その家には水が流れ込み、寝る場所もびしょ濡れの状態だった。そこで目にしたのが家の一番高い場所に置いてあるボールとグローブ。胸に迫る光景だった。

 ブルキナファソで学んだのは「創意工夫の大事さ」「粘り強さ」「気持ちの切り替え」。現地で、子供たちや地域の人たちと交流し、身をもって知った。このことは、まさに日本でも大切なことだった。杉山さんは「みなさんも、スポーツが得意なら、ぜひ」と、学生たちにJICAボランティアへの参加を呼びかけていた。

 JICA中部ボランティア事業を担当する公益社団法人・青年海外協力協会(JOCA)中部支部によると、中京大学の学生、卒業生の海外派遣数は、累計で135人に上り、現在も10人が派遣されている。体育・スポーツ系の職種での派遣隊員数では、全国でも日本体育大学に次ぐ2番目の多さとなっている。
 

2016/02/17

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