「知る」から「できる」へ
 マーケティング教育

 大学でマーケティングを教えるようになってから20年以上が経った。その間、おそらく1万人近い学生たちにマーケティングを教えてきたが、常々感じていることがある。それは、マーケティングにまつわる知識をいくら教えても(学生の立場でいうなら学んでも)マーケティングが「できる」人材は生まれてこないということだ。

 もちろんマーケティングを教えようと思ったなら、マーケティング・ミックス(4P)やSTP、ブランディング、営業政策、プロモーション立案、商品企画などなど、教える項目はたくさんある。15回の講義でこれらの概念や理論、フレームワークを教えているだけでなく、大学・学部によっては製品開発論やブランド論、流通論、広告論など、マーケティング関連科目が多数設置されているところもある。また、近年では産学連携活動をはじめとしたPBL(課題解決型学習)が盛んに行われている大学・学部もあり、筆者が担当するゼミでも毎年5~6社程度に対して商品企画提案を行い、これまでに10を超える商品を世に出すなど、実践的ともいえる指導を行ってきた。

 それにも関わらず、何故、マーケティングができる人材が生まれてこないのだろうか。その回答として「お前の教え方が悪いからだ」と指摘されたなら、ぐうの音も出ないと言っておこう。しかし、私も理事を務める日本最大のマーケティング系学会「日本マーケティング学会」には1200人を超える大学教員が所属しており、それだけ多くの教員がいるにも関わらず、日本にはマーケターとして著名な人は数える程度しか存在していないのも事実だ。

 そこで、マーケティングを教える人も学んだ人も多数いるのにマーケティングができる人材がこれほど少ないのは何故かという疑問を掘り下げて考えてみると、マーケティングにおける知識の問題が重要だということが理解できる(坂田隆文『マーケティング教育学』文眞堂、近刊)。すなわち、様々な概念や理論を「知っている」のと、それらを活用してマーケティングの諸活動が「できる」のとの間には大きな溝があるということだ。これを中学校の地理に喩えたなら、地名は覚えているし県庁所在地や特産物にも精通しているが地図を読めずに目的地にたどり着くことができない人がいるようなものだ。認知心理学では活用できない知識のことを「死んだ知識」ということがあるが、マーケティングにおいてもマーケティング問題の解決に活かせない「死んだ知識」をいくら教えても/学んでも意味がないということだろう。

 では、「生きた知識」を教える/学ぶにはどうすれば良いか。それを論じるには紙幅があまりに足りない。一言だけ、世の中はマーケティング問題に溢れており、常に想像力と創造力をもつことが大切なのだということだけは指摘しておこう。前述の日本マーケティング学会にはマーケティング教育研究会という研究会もあるが、マーケティングで何をどのように教えるのかという議論は、緒に就いたばかりである。

【略歴】

さかた・たかふみ

マーケティング論、商品企画論。

神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(商学)。1974年生まれ

【顔写真】2024SAKATA.jpg

  

2024/06/04

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