昨年を上回る盛会に 同窓会賀詞交歓会

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梅村総長・理事長(左)から花束を贈られた佐藤さん

 中京大学同窓会(森谷敏夫会長)の第13回新春賀詞交歓会が1月28日、名古屋市中区のヒルトン名古屋で開かれた。昨年を大きく上回る459人の同窓生が出席し、盛会となった。さまざまな世代、出身学部、職種の同窓生たちは広い会場を移動しながら、旧交を温めたり、初対面の挨拶を交わしたりして交流を深めた。

 会には、リオオリンピック競泳800㍍リレーに出場し、日本チームとして1964年東京大会以来52年ぶりの銅メダルを獲得した松田丈志さん(2008年度体育学修士修了)、リオパラリンピック陸上競技400㍍リレーの日本チームの一員として銅メダルに輝いた佐藤圭太さん(13年度体育学部卒)、昨年の大晦日にプロボクシングWBO世界ライトフライ級王座決定戦でKO勝ちし、2階級制覇を成し遂げた田中恒成さん(経済学部3年)が招かれ、冒頭、梅村清英総長・理事長、安村仁志・中京大学学長から花束贈呈などが行われた。

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講演する松田さん(左)と久世コーチ

 また、会に先立って、松田さんとともに招待されたコーチの久世由美子さんの二人が講師として「夢を夢で終わらせない競泳人生」をテーマに講演した。4歳から28年間にわたって松田さんを指導してきた二人の〈水泳道中〉についてはよく知られているが、久世さんの口からさまざまなエピソードが語られ、同窓生たちも熱心に聞き入った。

 二人は宮崎県延岡市のビニールハウスのプールで出会った。4歳の松田さんは体は大きかったが、久世さんは「将来性うんぬんよりもまず、挨拶、返事、礼儀をしっかりと」を徹底させたという。松田さんは中学生のころから頭角を現し、高校を卒業後、2003年に中京大に進学した。久世さんも中京大のコーチとなり、一変した環境の中で松田さんはさらに成長し、翌04年のアテネ五輪代表となった。

 ただ、そこで悔しさを味わう。「競泳人生の肝になった」と松田さんが今も思うのがアテネの「挫折」だった。400㍍自由形で8位入賞したものの、200㍍バタフライは準決勝敗退、1500㍍自由形も予選落ちした。「周りの力を自分の力に変えることが足りなかった」ことに気付いたという。個人スポーツのように見える水泳も、「チームの仲間とコミュニケーションをとり、応援を力に変えることの大事さがわかった」と。久世さんも「成績を残さないと五輪というのは居心地が悪い場所だということがわかりました」と振り返った。

 それから「目標を持って、実行して、成果を出す」ための戦いが、環境の整った中京大で始まった。その後の実績はよく知られている。北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続で代表入りを果たし、銀1、銅3のメダルを獲得した。講演の最後には、リオ五輪の800㍍リレーのテレビ放送の映像が流された。ビデオなのにアンカーの松田さんの泳ぎに会場は手に汗をにぎり、長く大きい拍手が鳴り響いた。「ビニールハウスでは人間も育つんですよ」。久世さんの言葉が印象的だった。

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  安村学長(左)から花束を贈られた田中さん  瀧剛志・同窓会副会長の音頭で乾杯する参加者

 交歓会は所用のため出席できなかった森谷会長に代わり、種田行男副会長(中京大学副学長)の挨拶で始まった。現在、同窓会には73支部あり、約12万7千人の会員がいる。年間約50回の行事があり、「今年9月には初めて東京で交歓会を開きます」と明らかにされた。

 また、梅村総長・理事長は挨拶で「リオ大会での活躍に加え、ミズノ、東海東京証券との協定など社会連携にも力を注ぎました」と振り返り、梅村学園のルーツのある水戸市との協定にも触れ、「文武両道を掲げてきた教育の原点をさらに大切にして、2023年の学園100年に向け、一歩一歩進んでいきたい」と述べ、同窓生から大きな拍手が沸いた。安村学長は原語で、マガリャンイス(マゼラン)、シャビエル(ザビエル)の名を挙げ、「信頼と勇気で帆を上げ、大海に乗り出していった大航海時代」を例に、「それは改革でもあった。私たちも世界に向けて帆を上げて行こう」と呼びかけた。その話の中で、「中京大学学歌」の三番の歌詞が「まさにそのことである」と指摘し、「なるほどそうだったのか」という、感慨を含んだ喝采が送られた。

 懇親会では、松田、佐藤、田中さんの3人の周囲にはサインや握手、写真撮影などを求める輪ができ、最後まで行列が途切れることがなかった。

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会場中で歓談の輪が広がった交歓会

2017/01/30

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