2014年春に中京大学に着任しました。生まれ、育ち、学び、そして仕事もずっと関西でした。そのため、授業中にはときどき関西弁が出ています。
郊外のニュータウンで長らく過ごしてきた私にとって、祖先祭祀も仏教もどこか「遠く」にあるものでした。しかし、世界各地には、日常生活に祈りや信仰が深く埋め込まれている人びとがたくさんいます。自分自身を含めて、現代世界を生きる人びとにとって宗教とは何だろう?と考えるようになったことが、研究をはじめたきっかけです。
大学生になって、関連する本を読んだり、アジア各地(チベット、ネパール、中国、タイなど)へ出掛けたりするなかで、次第に南アジアや東南アジア地域に広がる上座部仏教の世界に魅せられるようになりました。
音楽鑑賞、ヨガ、散歩。ぼちぼち山登りを始めたいと思いながら…。
●文化人類学特講A
●社会調査実習
●演習Ⅰ~V
文化人類学特講A:
現代の日本社会において、宗教は、「怖い」、「うさんくさい」、「よく分からない」といったネガティブなイメージで捉えられがちです。しかし、過激なテロリズムやあくどい金儲けは、宗教のひとつのかたちに過ぎません。今日に至るまでの長い間、宗教は私たち人間の生老病死に関わり、世界各地の文化の根幹をなしてきました。宗教人類学は、こうした世界の多様な「宗教文化」を比較検討することをとおして、人間にとって宗教とは何かを探求する学問です。この授業では、文献や映像資料を用いて世界各地の事例を学びながら、これらの問いへの答えを皆さんと探ります。
社会調査実習と演習Ⅰ~Ⅴ:
国際文化専攻がスタートして以来、私が担当する社会調査実習では、ライフストーリーの手法を用いて「豊田周辺で出会う外国人の暮らし」を明らかにすることに取り組んでいます。これまでに、オーストラリア、中国、フィリピン、ブラジル、ベトナム、ボリビア、ネパール出身の在住外国人の方々が、家族・親族のこと、仕事のこと、学校のこと、信仰のことなど、たくさんのお話を聞かせてくださいました。人間の生活空間は、家のなかに限定されず、学校、職場、飲食店、スーパーマーケット、宗教施設など広範にわたるので、私たちのフィールドワークの現場も無限大です。
*社会調査実習関連ページ
“Project Rainbow 2020: Free Consultation for Foreigners”
https://sites.google.com/view/freeconsultationforforeignersr/home
演習では、グローバル化・支援・宗教というキーワードのもと、多様な価値観をもつ人びとが隣人として共生する社会のありかたについて考えます。2年次から3年次にかけて、文化人類学の基礎文献や専門書の講読、さらには外国人との交流や実習をとおして、文化人類学の視点やフィールドワークの方法を段階的かつ実践的に身につけます。また3年次からは、各自の問題関心にもとづいて個人研究テーマを設定し、フィールドワークにも挑戦します。4年次には、それまでの調査研究の成果をふまえて卒業論文に取り組み、エスノグラフィー(民族誌)作品としてまとめ上げます。
近代化・グローバル化が進行する現代世界における宗教を、とくに開発現象との関わりにおいて文化人類学の立場から研究をおこなっています。主な調査地は東南アジア大陸部の上座部仏教社会タイです。この10年間は、タイ北部最大の都市チェンマイ近郊部でのフィールドワークにもとづいて、上座部仏教の出家者である僧侶たちがなぜ積極的に世俗社会の開発に取り組むのかについて考えてきました。また現在は、タイ北部におけるミャンマーとの国境地域でのフィールドワークにもとづいて、僧侶による「開発」がいかにローカルな宗教実践を再構築していくのかを考えています。さらに今後は、現代日本社会における上座部仏教の展開についても調査研究をすすめる予定です。
ゼミでは、ゼミ生が自分自身で問いを立て、身の周りのさまざまな現象のなかから関心のあるテーマを自由に設定しています。そのため、現在のゼミ生の研究テーマは実に多様です。たとえば、K-POP、獅子舞、よさこい、自然や動物と人との関わり、アーティスト、サッカー、アニメ聖地、宗教と地域コミュニティなど等。それぞれのテーマはバラバラですが、ゼミ生が各自の「フィールド」(現場)をもち、比較的長い時間をかけてフィールドワークを徹底的におこなう点では共通しています。ゼミ生は2回生から4回生までの段階的な学びをつうじて、自分にこそなしえるオリジナリティ溢れた研究とは何か、どうすればよりよい研究になるかを常に問いながら、個人発表と全員でのディスカッションを積み重ね、最終的には卒業論文を完成させます。したがって、ゼミ生には、自分から主体的に学ぼうとする積極性はもちろんのこと、他の人たちと互いに切磋琢磨し合う協調性をもつことも強く期待されます。
なお、普段は、基本的に学年毎に分かれたゼミをおこなっていますが、ゼミ合宿(秋学期予定)やその他の行事(新歓や追いコン)をおこない、学年を越えた交流をとおして学びを深める機会を設けています。
どんな学問にも共通することかもしれませんが、自分のもつ「当たり前さ」を問い直すことができる点にあると思います。とりわけ<異文化>を対象とする文化人類学においては、長期間にわたる綿密なフィールドワークにもとづいて、異なる文化的背景をもつ人びとの「当たり前さ」を深く見つめることが求められます。私は、タイにおける2年間のフィールドワーク中、自分でも知らぬ間に、麺類を食べる時には麺をレンゲの上に載せて音を立てずにそっと口へ運ぶ、という食べ方を身につけていました。日本に帰国して、蕎麦屋で思い切り音を立てて麺をすする中高年男性の姿を目の当たりにしたときの衝撃は今でも忘れられません。このように、<異文化>と<自文化>との境界を揺さぶり、両者を行ったり来たりすることができるのは、文化人類学という学問の大きな魅力だと思います。
きわめて自由なところです。大学らしいと言ってよいかもしれません。そして、教職員も学生も、皆さん明るく、気さくです。私は早くも現代社会学部のこうした雰囲気に居心地の良さを覚え始めました。また、現代社会学部は、「何もない」と言われがちな豊田キャンパスにありますが、毎日の通勤中、最寄駅と大学との間に広がる水田、小川のせせらぎ、暮れゆく夕日についつい見とれてうっとりしています。
高校生のときに、進路室に山積みにされた大学案内の類を手に取り、パラパラと流し読みしていたときのことです。顔はひげに覆われた、上半身裸の大柄の男性が、トンガかどこかの島で豚を丸焼きにしている写真が私の目に留まりました。よく見ると、それは現地の人ではなく、日本の大学の一教員のフィールドワーク中の写真でした。そのときに「これだ!」と胸を躍らせたことを、今でも鮮明に記憶しています。当時の私はまだ「文化人類学」という学問の名前さえよく知りませんでしたが、漠然と、世界中のさまざまな地域の人びとの暮らしを学んでみたいという希望だけは持っていました。そんな私にとって、この写真との出会いは、まさに文化人類学との出会いでした。
周囲とは異なる、変わった考えをもつことを恐れないでください。少々尖がっているくらいに、しっかりした自分の考えを持ちましょう。しかし同時に、なぜ自分はそう考えるのか?なぜ自分と周囲とは異なるのか?を冷静かつ柔軟な視点で見てみましょう。そうすれば、自分の殻から抜け出し、より広い世界へと一歩を踏み出すことができますよ。
バイト、サークル、恋愛などから得られることもたくさんあるでしょうし、それらの合間を縫って授業に出て単位を揃えれば、大学を卒業することもそう難しくはないでしょう。しかし、たっぷりある時間を使って、自分の本当にやりたいことは何か?という問いにとことん向き合い、いろんなことに挑戦してほしいと思います。ときには困難を伴うかもしれませんが、それを乗り越える過程では、自分自身の成長をたしかに掴みとることができるはずです。それは、誰かに与えられた目標に従って課題をこなすだけでは決して得ることのできない喜びや楽しみとなるはずです。自分自身の可能性を信じて、より広い世界へ羽ばたいて下さい。