今の社会が要求する生活のペースと自分の生きるペースのギャップが大きいので、困ることが多い。しかし、案外このギャップという視点から「引きこもり」などの現象を見ると理解できることも多いのではないかと思ったりもする。地域社会が多様な生きるペースを活かせる場所になる可能性はないのだろうか?
趣味:現在のところ、趣味をもつ余裕なし
●まちづくりの地域社会論
●生きることの社会学
●公害問題の社会学
現代社会概説:「現代社会」は戦後の日本の歴史の大きな曲がり角にある。しかもこの変化はますます世界の歴史的変化と強く結びついている。現代社会の変化を表現する基本的な言葉として、少子高齢化、情報化、グローバリゼーションをあげることができる。こうした変化とわれわれの生活や意識がどのように結びついているのか、それを具体的に提示して、変化の行方を考える。
まちづくりの地域社会学:明治以来の都市づくりは基本的に「お上」のやることであったが、戦後の高度成長期以降、「住み続けられる」地域社会の構築が住民自身の努力によって試みられてきた。そうした歴史を振り返ると同時に、孤立化し、人生が「私のストーリィ」になってしまった人々がどうやったら「私たちのストーリィ」をつむぎ出せるかを考える。その出発点に地域社会の経験を思い起こし、共有できるものや感性を確認したうえで、まちづくりの事例を検討する。
公害の社会学:客観的に被害が起きても公害であると認識できるわけではない。社会が、例えば、水俣病が公害であるとはっきり認識したのは少なくとも被害の発生から20年は経っていた。さらに一応の「政治決着」が成されるのはさらにそこから30年近くの歳月を必要とする。したがって、公害を公害として認識する主体が成立するのはねばり強く公害に取り組んできた人たちが社会的な行動と発言をしてきた結果なのである。この過程を認識主体の成立史として、社会変容として描き出そうとするものである。
1.身近な地域社会:
都市もそれぞれ自然と歴史によって個性をもっている。祭りなどの行事はその個性を表現する。それを生かしたまちづくりがされるかどうかはそこに住む住民の文化や自治能力の問題である。この自治能力をどのような社会の仕組みや集団として構想するかが課題である。その出発点として地域社会では、「古い」組織と言われることの多い町内会・自治会をはじめとして、実際に地域を歩きながら、町を支えている住民の姿を描くことに努めている。
2.青年問題:
少子化・高齢化によって「大人になる」条件は崩れつつある。それゆえ、大人のような子どもや子どものような大人も現れる。こうなると大人と子どもの過渡期としての青年・若者をどう考えたらいいのか。地域社会での若者の姿を見ながら考えたい。現代の若者現象は歴史的な産物であり、社会の仕組みの変更を迫っている。それは「やり直し」のきく社会といってよいだろう。その仕組みができるとき、世代を超えた場所と交わりができてくるにちがいない。
3.公害問題:
水俣病を中心に考えている。公害の被害を拡大し、それを許容する社会関係のあり方を考えると同時にその関係を批判する人々がどのようなプロセスで生まれ、新しい生き方(公害を抑止できる社会関係)を作り上げるのか、それが社会問題論の課題である。
2年生は共通テキストの報告と議論、本を読むこと、理解することの「しんどさ」とそこから「考える」ことを知ってもらう。
3年生は共通テーマを設定し、テーマに沿って共通および個別の文献を報告、議論し、最終的に共通テーマについてレポートを個別に作成 。
4年生は卒論執筆のため、個別指導を重視、これをもとに月1回中間報告会をもちながら、執筆を進めさせる。
どんな服をきるのか、どこで誰と時間を過ごすのか、そんな意識しない当たり前の日常生活を不思議の世界に変えてしまうところ。
国や地域、世代(時代)、性別などによって過ごし方や感じ方が違うことがわかる。実際教員もその違いを体現してしまっている。だから無理してみんなに合わせなくともいいことがわかりやすい学部。
偶然のタイミングと相性、まあ現実的には社会学それ自体というより「社会学の先生」とめぐりあったため。ちなみに元々は商学部の経済学科に所属していた。
もう少しリラックスしていいんじゃないでしょうか?例えば、他人の目を意識しすぎでは?そんなに本人が思うほど周囲は気にしてない。
マニュアルに頼らずに考える勇気を。