活動内容発信コンテンツ
「挑戦し続けたい」中京大OG吉川侑美選手が語る過去と未来
学生広報スタッフ「ライト」は3月7日、名古屋東急ホテルで、3月9日に開催された名古屋ウィメンズマラソンに出場した中京大学陸上競技部OGの吉川侑美選手(2012年度体育学部卒業)に取材しました。吉川選手は中京大学卒業後に2度の実業団移籍を経て、今年の1月にプロランナーとなった、異色の経歴を持つ選手です。中京大学時代から専門としていた3000m障害を離れ、プロとして「マラソンで日本代表」を目指すまで、様々な話を聞くことが出来ました。
高校時代に本格的に陸上を始めた吉川選手。中京大学に入学後、専門を800mから3000m障害(ハードルや水濠を飛び越えながらトラックを3000m走る、陸上の長距離種目の中でも異色の競技)に変更します。その理由を吉川選手は「全日本インカレに出場はするけど、出場するだけで入賞はできませんでした。愛知県には強豪の名城大学があり、その選手らに5000mや10000mなどの競技で勝つには、地力が足りない。その時、3000m障害なら勝てるのではないかと思ったのです」と語ります。吉川選手はその後3000m障害を極め、4年生の時に日本学生個人選手権で見事2位に輝きます。
中京大学を卒業し、実業団に入ってからも3000m障害で日本代表になることを目指し競技を続けましたが、東京五輪の代表選考から外れてしまいます。専門種目の3000m障害では勝てない選手に5000mの試合では勝てるということが続き、理由を考えた末、「大好きな3000m障害なのにハードルを飛ぶのが苦手で怖かった」という結論に至ります。大学時代から駅伝を走るために長い距離の練習をしていたこと、長い距離が苦手ではなかったこと、そしてハーフマラソンの大会での結果が良いことが続いたことから、吉川選手はいつしか3000m障害からハーフマラソンへ、そしてマラソンでの活躍を目標にするようになりました。
そして今年1月、吉川選手は所属していたユニクロ女子陸上競技部を退部し、プロとして活動することを発表します。プロになった理由を尋ねると、「今年35歳になり、現役として競技をできる時間も残り少なくなりました。そう考えた時に、もっと思い切ってチャレンジしたい、マラソン1本に絞って日本代表を目指したいという思いが強くなりました」と言います。実業団にいた頃とは違い、3食自分で料理をしたり、合宿ができず寒い関東地方でマラソントレーニングをしたりと、慣れない生活が大変ではあるものの、自分と向き合う機会が増え、あらためて自分を知るきっかけになったと、新生活を前向きに捉えていました。
「全力で挑戦して結果が出なくても、プロという自分で選んだ道の方が納得して競技を終われるだろうと思います」そう語る吉川選手にとって、9日の名古屋ウィメンズマラソンはプロ2戦目となります。今大会はタイムや順位ではなく、マラソンの恐怖心から逃げないようにしたい、と吉川選手は言います。「1月の大阪国際女子マラソンで思うような走りができず、マラソンが怖いと感じてしまいました。しかし、マラソンに絞ってプロとして競技することを決めたから、マラソンからは逃げたくない。地元愛知県を走ることに喜びを感じながら、まずはマラソンの恐怖心を払拭したいと思います」と、大会への思いを語る吉川選手の目は輝いていました。
取材の最後「挑戦する大学」をテーマに掲げる中京大学の在学生にメッセージを求めると、「自分がプロになりたいと思ったのも、常に挑戦していたいと思ったからです。目標に向けてどういう結果であれ、諦めない気持ちをもって挑み続ければ、夢が叶ったり結果に表れたりする日が来ると思います。ぜひ皆さんも挑戦し続けてほしいです」と答えていただきました。
「挑戦する大学」のOGとして自分に挑み続ける吉川選手に、今後も期待が高まります。
企画・制作 学生広報スタッフ「ライト」
- 文:宇都亜衣菜(文学部1年生)
- 撮影:岩田理沙(総合政策学部2年生)、岡田美虹(スポーツ科学部2年生)、桑原一貴(経済学部3年生)、住田晃基(国際学部2年生)、吉原采紀(心理学部1年生)