【プレスリリース】中京大学大学院体育学研究科院生とスポーツ科学部教授の共同研究 他者の運動経験が自己の運動学習に貢献することを解明 -"withコロナ時代"の身体活動を考える-
中京大学大学院体育学研究科の若月翼さん(博士課程3年)とスポーツ科学部の山田憲政教授は、他者の失敗経験を自己の成功に生かせることを運動学習の観点から明らかにすることに成功しました。
<ポイント>
・18世紀に風車の方向を自動で制御するために発案された、系の出力を入力側に戻す操作であるフィードバックは、現在ではエアコンや冷蔵庫の温度制御や自動車の自動運転制御などに広く適用されていますが、人間の動きの制御と学習においても重要な役割を演じています。
・人間の運動学習においては、運動後に得られる感覚と運動結果の成否のフィードバックを用いて運動の修正が行われると考えられますが、サッカーにおけるPK戦のように、前の人の運動結果が次の人に影響を及ぼすことは様々な場面で観察されます。
・そこで本研究は、他者の運動結果のフィードバックを自己の運動修正に生かせることを初めて実験的に示しました。
・これらの研究成果は、個人学習を前提としたこれまでの運動学習理論を他者との相互作用による集団学習の次元に引き上げ、身体を動かす時間に制限のある"withコロナ時代"を生きる、新たな身体活動の在り方を提案します。
<概要>
中京大学大学院体育学研究科の若月翼さん(博士課程3年)とスポーツ科学部の山田憲政教授は、他者の失敗経験を自己の成功に生かせることを運動学習の観点から明らかにすることに成功しました。
40年以上前にフィードバック理論を改良して提案されたスキーマ理論は、運動の実行で得られる感覚とその結果のフィードバックを用いて動きの修正を繰り返す、いわば個人完結型の理論であり、他者の運動を観察することで得られる情報は考慮されていません。しかし、スポーツの練習中や体育の授業では、自分自身の身体を実際に動かしている時間よりも他者の運動を観察している時間の方が長くなることが多くあります。本研究では、複数人の他者による調整動作を観察してそれらの結果の情報も得る状況を実験室内に再現し、他者の調整動作を観察することが自己の運動の調整にどのような影響を与えるかを実験的に検討しました。
実験対象者には、垂直跳びの跳躍高を調整する課題を1人で4回行う個人条件と、4人で1回ずつ順に行うグループ条件のどちらかに参加してもらいました。試技ごとに自分の結果の情報を得る個人条件に対して、グループ条件では他者の運動を観察し、さらにそれらの結果の情報を得て跳躍しました。
その結果、個人条件とグループ条件の跳躍高は共に、試技(もしくは試技者)の順が進むにつれて目標とする跳躍高へと近づいていきました。このことから、他者の運動経験を自分のものとして扱い、それを自己の運動調整に役立てていることが明らかになりました。さらに、他者の運動を観察せずに跳躍高の結果だけを得た検証実験グループでは、試技者の順が進んでも目標とする跳躍高に近づけることができなかったことから、自己の運動調整に役立てるには結果の情報だけでなく、観察行為によって過程の情報を得ることが重要であることも分かりました。これらの成果は、個人学習を前提としたスキーマ理論を他者との相互作用による集団学習の次元に引き上げ、これは身体を動かす時間に制限のある"withコロナ時代"を生きる、新たな身体活動の在り方を提案します。
本研究成果は、2020年9月1日公開予定の『認知科学』(特集 若手研究者の認知科学)に掲載されます。
<背景>
部活動などのスポーツ活動中や体育の授業では、自分の身体を実際に動かしている時間よりも他者の運動を観察している時間の方が長くなることが多くあります。特に今年は、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大を受けてスポーツ活動の中止もしくは活動方法の見直しが図られ、実際に身体を動かす時間は例年に比べて大幅に減少しています。しかし、他者の運動を観察している時間は、ムダな時間なのでしょうか?そして、運動を学習するためには必ずしも自分の身体を動かすしか方法はないのでしょうか?
私たち人間の運動学習の基本は、フィードバック理論を改良して提案されたスキーマ理論で説明されると考えられています。スキーマ理論とは、脳内の運動プログラムを用いて運動を"実行"し、そこで得られた感覚とその結果に基づく"修正"を繰り返すことで、「このくらいで調整すればこんな結果が得られる」といった抽象化された運動プログラム、いわゆるスキーマを獲得し、これにより初めての状況や環境にも柔軟に対応できる、という学習理論です。例えば、バスケットボールのシュートを様々な距離から練習しておけば、練習していた場所だけでなく初めての距離からでもシュートを決められることも、スキーマがあるためです。そしてこのスキーマは、自分自身の身体を動かして獲得したものであるため各個人がそれぞれ異なるものを持っており、運動実施者本人にのみ適用される閉鎖的な運動プログラムとされていることが大きなポイントです。しかしその一方で、サッカーにおけるPK戦のように、前の人の運動結果が次の人に影響を与えることは様々な場面で観察されます。このような実例から、本来運動学習は閉鎖的なものではなく、他者の運動経験が自己の学習に積極的に関与するものと考えられますが、その実験的な証明と詳しいメカニズムの解明には未だ至っていません。
今回の研究では、複数人の他者による調整動作を観察してそれらのフィードバック情報も得る状況を実験室内に再現し、他者の調整動作に関する情報が自己の運動調整にどのような影響を与えるか、そして観察による学習にはどのような情報が必要なのかを調べることにしました。
<研究手法>
本研究の課題には、垂直跳びの跳躍高調整を採用しました。これは、実験対象者に全力で跳躍してもらった後、その記録の50%の高さに調整してもらうというものです。例えば、全力時に50cmを記録した対象者であれば、25cmを目指して調整していきます。自身の跳躍高を50%に調整するのは意外と難しく、注意深く調整しても跳びすぎてしまう(70%程度で跳躍してしまう)ことが報告されています。この課題を、以下のような2つの条件でそれぞれ実施しました。
1つ目は、1人で4回行う個人条件(図1Aの左、12名)です。この条件では、跳躍を行うごとにその跳躍高が何cmで、全力時の何%であったかを結果の情報として与えられます。自身の運動感覚とその結果の情報を得て次の跳躍に臨む、一般的な個人学習です。そして2つ目は、4人で1回ずつ順に行うグループ条件(図1Aの右、12組)です。この条件では、グループのメンバーの跳躍を全力時も含めて全て観察し、それらの結果の情報も得ることができます。つまり、他者の動作に含まれる運動情報とその結果の情報を得て、自身の跳躍に臨みます。しかし、全ての対象者が同じ分だけ情報を得られるのではなく、図中の対象者BよりもC、CよりもD、そしてDよりもE、と対象者の順が進むにつれて得られる情報が徐々に増えていく仕組みになっていることも大きなポイントです。グループ条件の実験風景については、図1Bをご覧ください。
図1:(A)実験構成の概念図。左が個人条件、右がグループ条件である。尚、KRが結果の情報、MSが自己の運動感覚、そしてMIが他者の運動に含まれる情報を示している。(B)グループ条件の実験風景図。個人条件は、この図から運動観察者が排除された状態で行う。 |
<研究成果>
まず、自分の情報を得た個人条件と他者の情報を得たグループ条件の跳躍高がどのように変化しているかを調べました(図2)。その結果、当然ながら個人条件では試技数が進むにつれて目標値に近づきましたが、グループ条件でも試技者の順が進むにつれて徐々に目標とする跳躍高(対象者それぞれの50%高、図中の破線)へと収束していったのです。グループ条件の対象者は1人につき1度きりの跳躍であったにも関わらず個人条件と同様の変化を見せ、さらに4人目の最終試技者Eに至っては自身にとって1回目の試みで目標に最も近い跳躍高を記録しました。すなわちこの実験は、他者の運動経験を自己の運動調整に役立てられることを、初めて実験的に示すことに成功したと言えます。さらに、運動の観察をせずに結果の情報だけを与えるグループを検証実験として行ったところ、そのグループでは跳躍高が目標へと収束しなかったことから、自己の運動調整には他者の運動を観察することが重要であることも分かりました。この結果は、他者のスキーマを仮想的に自己に当てはめている可能性を示します。
また、取得した身体座標および地面反力データをもとに動作分析を行い、各関節に作用する様々な力学量の変化過程を詳細に検討した結果、両条件に共通して、"仕事率"が試技(もしくは試技者)の順が進むにつれて減少していました。つまり、仕事率の変化過程は跳躍高の変化過程と類似しており、さらに個人条件で行う調整の方略がグループ条件でも同様に確認できたと言えます。この結果から、自己-他者間では仕事率の変化が情報として伝達されている可能性が認められました。実はこの仕事率、理科の教材ではしばしば運動実施者の"手ごたえ"という言葉で表現されます。このことから、力学量の仕事率は心理量である手ごたえと関係があり、他者の調節した仕事率を絶妙な手ごたえの変化として感知して自己の跳躍高調整に役立てていると考えられます。すなわち、運動学習における自己と他者のつながりだけでなく、客観的な力学と主観的な心理学が融合する可能性までもが見えてきました(図3)。
<今後への期待>
本研究により、他者が失敗した時の情報を自己の運動調整に適用させて成功に生かせることが実験的に明らかになりました。この成果は、個人学習を前提としたこれまでの運動学習理論(スキーマ理論)を他者との相互作用による集団学習の次元に引き上げ、運動学習における観察行為の重要性を主張します。そしてこれは、身体を動かす時間に制限のある"withコロナ時代"を生きる、新たな身体活動の在り方を提案します。
図2:各条件における跳躍高の変化。左が個人条件、右がグループ条件である。両条件とも徐々に目標跳躍高(破線)へと近づいており、その変化過程は高い類似性を示している。 |
図3:
(A)仕事率の代表例。点線で示された区間は、跳躍高を調整しようとしている区間である。(B)運動実施者と運動観察者の関係を示す概念図。観察者は仮想的に自己運動をしながら実施者の運動を観察し、仕事率(手ごたえ)を情報として得ている。(C)電気、力学、そして心理のつながり。電気システムと力学システムのつながりを説明する教材である手回しモーターでは、ハンドルを回す際の仕事率を手ごたえと表現している。 |
<論文情報>
論文名:他者の運動情報は自己の運動調整に役立つか −仕事率でつながる自己と他者の運動制御−
著者名:若月翼1、山田憲政2(1中京大学大学院体育学研究科、2中京大学スポーツ科学部)
雑誌名:認知科学(特集 若手研究者の認知科学)
DOI:10.11225/cs.2020.024
公開予定日:2020年9月1日
<お問い合わせ先>
中京大学広報部広報課 MAIL:kouhou@ml.chukyo-u.ac.jp TEL:052-835-7135