【プレスリリース】中京大学大学院体育学研究科院生とスポーツ科学部教授の共同研究 後から動いて勝負に勝つ-カウンターパンチのメカニズムに迫る-
【ポイント】
・量子論の父として知られるニールス・ボーア博士は、自らのタイミングで動き出す動作よりも相手の動きに反応して動き出す動作の方が早く目標へ到達することを理論的に導き出し、それがヒトの動きの本質であると提唱しましたが、その動きの仕組みは未だ明らかにされていません。
・本研究は、これら2つの動作の速度と力発揮の時間的変化の違いを初めて明らかにし、運動時間に違いが生じる仕組みとそれら動作の時間的構造を解明しました。
・これらの成果は、カウンターパンチのような、後から動き出す者が勝利を収めるメカニズムを説明するための一助となることが期待できます。
【概要】
中京大学大学院体育学研究科の若月翼(博士課程3年)とスポーツ科学部の山田憲政教授は、自発的な動作と反応的な動作では速度生成および力発揮のパターンが異なることを示すとともに、"ボーアの法則(bohr's law)"と呼ばれるヒトの動きの仕組みを明らかにすることに成功しました。
ボーアの法則とは、量子論の父であるニールス・ボーア博士が西部劇の決闘シーンをもとに、理論的に導き出したヒトの運動法則です。これは、自身のタイミングで動き出すよりも何らかの刺激に反応して動き出した方が動作にかかる時間が短くなるというもので、両動作の違いに関する研究は脳科学を中心とした多くの分野で幅広く行われてきました。しかし、ボーアの法則に関するいずれの研究も、ヒトの動きをボタン押し課題のような手部のみの動きとその動作にかかる時間で特徴づけていたため、その動きの詳細については未解決のままでした。著者らは、両者の動きに関わる力と移動する速度を分析し、両動作の運動時間に違いが生じる仕組みを明らかにすることから、ボーアの法則が成り立つ仕組みの解明に臨みました。
今回の研究では、対人スポーツでよく用いられるサイドステップを対象として、10名の対象者に出来るだけ早く目標地点まで移動する課題を行ってもらい、動作中の身体座標および地面反力データを取得しました。
その結果、自発的な動作と反応的な動作では、速度生成のパターンが異なっており、これは動作を発生させる意図を反映するとも言える、地面に力を作用させる時間の長さの違いに由来していることが分かりました。さらに、それが原因となり両動作間の速度の時間的変化の波形も異なり、その両波形を比較すると、立ち上がりの速度に優劣があることとその優劣が途中で逆転することが明らかになりました。これらの結果は、カウンターパンチのような、後から動き出す者が勝利を収めるメカニズムを説明するための一助となることが期待できます。
本研究成果は、2020年8月20日(予定)公開のFrontiers in Psychology誌に掲載されます。
【背景】
「なぜ、西部劇の決闘では、先に動く悪党ではなく後から動くヒーローが勝利を収めるのか?」。
量子論の父として知られ、1922年にはノーベル物理学賞も受賞した理論物理学者であるニールス・ボーア博士は、この描写は製作側による単なる演出として捉えるのではなく、ヒトの動きの本質を良く表していると考えました。実は、この決闘シーンと同様の状況は、スポーツの場面でもしばしば観察することができます。その代表例が、ボクシングでのカウンターパンチです。カウンターパンチとは、相手が攻撃を仕掛けてくる瞬間に狙いを定め、逆にパンチを打ち込む技のことです。ボーアが考えたように、なぜ先に動き出した方ではなく、それに反応して後から動き出した方が先に相手を捕らえることができるのでしょうか?
スポーツにおける攻防には、予測、意思決定、そして誘導など多くの認知的要素が関与しますが、事象を単純化して、ある一つの観点から見てみることは非常に重要です。その点で、上述したボーアの理論は、極めて複雑な対人構造を取るスポーツの攻防に大きなヒントをもたらしたと言えます。
ボーアの法則を実験的に検討したこれまでの研究は、いずれもボタンを出来るだけ早く押す課題を用いており、「動き」を「時間」という視点でしか評価していませんでした。さらに、ボタン押し課題で検討されたボーアの法則を全身運動という複雑な動きを必要とするスポーツ動作に適用する上で、いくつかの解決すべき問題がありました。そして、最も重要なボーアの法則の仕組みについても、動き出しの早さの違いが2つの動作で異なる神経基盤を有するため、といった定性的な説明によるものであり、動き自体を分析することによる定量的な仕組みの解明が必要でした。
そこで本研究では、上述した問題をすべて満たす、全身を移動させるステップ動作を対象動作とすることにしました。この動作は、地面を蹴って地面からの反力を得る、すなわち身体外部から力を得ることによって自身の身体重心を移動させる動作と言えます。そして、その際の動作の身体座標と地面反力の時系列データを取得することで、動きと力の関係からボーアの法則の仕組みを定量的に明らかにしようと試みました。
【研究手法】
指針を持つ体重計の上で身体を動かすと、針は自身の体重の前後で振れますが、これは自身の体重が変わったわけではなく、身体に加速度が生じるために身体が体重計を押す力の反力が時々刻々変化することで起こります。また、この加速度は心臓の鼓動までを含む人間の動きの全ての情報を含んでいるので、この反力を詳細に検討すると、無意識に動こうとする「意図」までも読み取ることができます。
そこで本研究では、高精度の体重計とも言えるフォースプレートを2台用いて、重心の移動を伴う全身運動として、サイドステップを採用しました。また、全身の動きをモーションキャプチャーシステムで自動追跡し、身体の座標を時々刻々取得しました。10名の実験対象者には、静止状態からサイドステップで動き出し、予め対象者自身の身長と同距離に引かれた目標線まで出来るだけ早く移動する、という課題を実施してもらいました。その際、自身のタイミングで動き出す自発的動作条件と前方に設置されたLEDが光ったタイミングで動き出す反応的動作条件の2条件が設定され、それぞれ10試技ずつ行われました。詳しい実験のセットアップは図1Aをご覧ください。
実験で得られたデータから、①動き出してから目標に到達するまでの時間(運動時間)、②速度の時間的変化、③動き出してから最大速度に達するまでの時間、④地面反力の時間的変化を算出しました。その際、動き出しの検出方法に工夫を施しました。これまでのボタン押し課題による研究では、ボタンのオンかオフで動き出しと運動時間を定義していました。しかし実際は、ボタンの信号が切り替わる事に相当する地面から足が離れる瞬間より0.1秒以上前から動作が開始されていたため(図1B)、動きを生成する力の波形から動き出しの瞬間を検出しました。この精度で両動作を比較することで、運動時間に違いが生じる仕組みを明らかにしようとしました。
図1:(A)実験構成図。対象者は2台のフォースプレートに片足ずつ乗って待機し、予め引かれた目標ラインまでできるだけ早く移動する。前方に設置されたLEDは、反応的動作条件でのみ点灯する。(B)地面反力データの典型例と特徴的な4つの局面。Aは静止時、Bは進行方向脚が地面から離れる(反力がゼロになる)瞬間、Cは追従脚の地面反力が最大になる瞬間、Dは離地していた進行方向脚が着地する瞬間である。B局面が、本研究の動き出し時刻として定義した力の立ち上がりよりも大幅に遅れていることから、実際の動きがいかに早い段階で始まっているかが分かる。 |
【研究成果】
まず、①運動時間は反応的な動作の方が平均で57ms程度短いことが確認されました。次に、両動作の速度の時間的変化(図2)を見てみると、②最大速度は自発的な動作(赤い線)の方が大きく(PV2 < PV1)、③それに到達するまでの時間は反応的な動作(青い線)の方が短いこと(t2 < t1)が分かります。つまり、反応的な動作は最大速度を小さくする代わりにそこまでの時間を短くすることで、時間のリードを生成していました。ここで興味深いのは、時間が経過するとあるタイミングで両動作の速度の大きさが逆転することです。自発的な動作はスロースターターではありますが、最終的により大きな速度を生成し、猛烈な勢いで反応的な動作との時間差を縮めています。しかしその追い上げも間に合わず、反応的な動作が先に目標へ到達する、という流れです。ここまでの両動作の関係を概念図にしたものが、図3です。この図では、ボーアの法則は、反応側がリードする段階(緑の部分)、自発側の速度が反応側の速度を逆転する段階(青の部分)、そして反応側が初期のリードを守りきる段階(赤の部分)、これら三つの段階で構成されることを示しています。
また、④最大地面反力には有意な差がなく、これは地面に力を与えた時間の長さに差があることを示唆しています。最大速度は地面に与えた力とその時間の積(力積)で求められるからです。したがって、反応的な動作は短く、そして自発的な動作は長く地面に力を与えて速度を生成する、という力発揮パターンの違いも見えてきました。これも、全身運動を用いて地面反力を測定したことによって明らかになった、重要な結果と言えます。
【今後への期待】
本研究では、自発的な動作と反応的な動作では速度生成および力発揮のパターンが異なることが分かり、それによりこれまで時間でしか評価されていなかったボーアの法則の仕組みと時間構造が明らかになりました。この成果は、ボクシングにおけるカウンターパンチのように、後から動き出す者が勝利を収めるメカニズムを説明するための一助となることが期待できます。
図2:速度の時間的変化の典型例。最大速度(黒点)は反応的動作(赤)よりも自発的動作(青)の方が大きい(PV2 < PV1)が、最大速度までの時間は反応的動作の方が短くなっている(t2 < t1)。自発的動作が緩やかなカーブを描きながら最大速度に到達しているのに対して、反応的動作は直線的に最大速度に到達していることが分かる。 |
図3:ボーアの法則を構成する3つの段階を示す概念図。第一段階(緑)では、反応的動作は爆発的なスタートで大きなリードを生成する。続いて第二段階(青)では、両動作の速度の大きさに逆転が生じ、自発的動作が時間差を縮める。そして最終段階(赤)では、反応的動作がリードを守りきって先に目標に到達する。 |
論文情報
論文名:Difference Between Intentional and Reactive Movement in Side-Steps: Patterns of Temporal Structure and Force Exertion(サイドステップにおける意図的動作と反応的動作の違い:時間構造と力発揮のパターン)
著者名:若月翼1、山田憲政2(1中京大学大学院体育学研究科、2中京大学スポーツ科学部)
雑誌名:Frontiers in Psychology
DOI :10.3389/fpsyg.2020.02186
公開日:2020年8月20日(予定)オンライン公開
●お問い合わせ先
中京大学広報部広報課 MAIL:kouhou@ml.chukyo-u.ac.jp TEL:052-835-7135