ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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概要

中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

て考えていきます(新田2009 : 30)。新田のいう介助関係は、単なる雇用関係ではなく、共同体をも想起させ、相互の葛藤と結びつきを露呈させている。と同時に、障害者が介助者を探し、介助関係を結び、その関係を継続させることがこれほどまでに難しかったことを物語ってもいる。障害者自らの生活の安定のため、介助の担い手の労働条件を整え、専従介護者を獲得するという公的介護保障要求運動の立場からすれば、介護者の生計を成り立たせるに十分な介助料を獲得するため、介助者と一体化して運動することは不可欠であった。1970 年代、新田のこのような介助関係が日本において存在していたとはいえ、当然、全ての介助時間を有償で賄うことはできず、多くはボランティアに頼らざるを得なかった。その後、「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業」は、その対象を拡大し「全身性障害者介護人派遣事業」となり、時間数が拡大する。この「全身性障害者介護人派遣事業」と生活保護の「他人介護」の加算に加え、特殊な介護ニーズやコミュニケーションの問題を理由に、障害当事者が選んだ介助者を自治体のホームヘルプ事業のヘルパーとして市の委託先に登録すること(自薦式ヘルパー)が可能となり、また、ホームヘルプの利用時間の上限拡大により、24 時間介護を実現し、地域生活を実現する人が増加した(全国障害者介護保障協議会1998)。このように、「全身性障害者介護人派遣事業」と生活保護の「他人介護」の加算等を利用した障害当事者本人への介助料の支給と、専従介護者の確保と支払の仕組みは、1980 年代以降の欧米のパーソナル・アシスタンスとダイレクト・ペイメントの移入を待つことなく、日本のなかに一部存在していたといえる。4( 4 )