ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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概要

中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

おける重度の全身性障害者らの闘いから始まっている。その結果、東京都の「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業(1974 年)」や生活保護の「他人介護加算(1975 年)」が実現した。これらは、障害当事者の判断のもとに介助者に支払われることから、日本独自のダイレクト・ペイメントによるパーソナル・アシスタンスとして機能していたと言えよう(立岩1990=1995)(新田2009)。この「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業」や生活保護の「他人介護加算」を利用して地域での自立生活を実現していた代表的立場には、新田勲がいる(新田2009)(深田2013)。新田は、自身の自立生活の歴史を振り返るなかで、障害者に対する介助の直接支給であるダイレクト・ペイメントと障害者が選んだ介護者に介護料が障害者から支払われることにより、自立生活は成り立つと主張する(新田2009 : 11)。さらに、この介助関係は、障害当事者と介護者が「ともに大切にし合っていく」関係であり、のちに展開される公的介護保障要求運動は障害者と介護者が「常に一体化して動いてきたからこそ、ここまで来た」とし、単なる雇用関係にとどまらず、運命共同体のような互いの生活に責任をもちあう関係であるとする(新田2009 : 118)。新田にとって、介護者の確保ができないことは、社会の中で生きる自分自身の消滅を意味し、介助者との関係を通して、互いの「生」を見合う関係を構築していく様を提示している。年間五、六人のボランティアが見つかればいいほうで、やめる人のほうが多いという現実です。辞めていく人については辞められては困るので、辞めないでくれと拝み倒して説得するなかで、ごく自然に障害者も介護者を大切にし、介護者も自分が抜けたらこの障害者は死ぬかもしれないという思いのなかで、ともに生きるという関係ができていきました。そのなかで介護者も障害者も双方がすごく大切な存在としてとらえることができ、健全者の方も真剣に福祉の問題は自分の問題と置きすえ日本における重度障害者の生活支援とパーソナル・アシスタンス(伊藤) 3( 3 )