ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

ると社会学も栄える。/[改行]社会学は社会にへその緒でつながれているが、もちろん社会学だけが市民社会を研究するわけではない。とんでもないことだ。だが、社会学は「市民社会という持ち場」から国家や経済を研究する。(Burawoy 2005 : 24)7 いうまでもないことだが、社会的なものに関するアレントの否定的な捉え方は独自のものである。たとえば、先のブラヴォイが、社会的なものを国家や国際資本に抗して人々が連帯する協同の次元とした肯定的な捉え方とは、明らかに異なる。8 18 世紀以降の歴史を考えるうえでのファーガスンの市民社会論の重要性に関しては、稿を改めて詳述する。本論では訳語においても、ブルジョワ社会(burgerliche Gesellschaft)と市民社会とは分けている。9 引用箇所の選定に関しては岸川(2011 : 117)を参照。以下、ハバーマスの訳文では英訳も参照している。10 こうした経緯を考察するためには、富永(2005)を参照。11 [ ] は引用者(鎌田)による省略と補足を表す。12 了解志向的な言語使用という言葉は、『コミュニケイション的行為の構造』(Habermas 1981=1985-87)においてミードを吟味した際に採用された。13 こうした公共圏概念の変容は、ウェーバーからルーマンにいたるシステム理論の展開への批判とも表裏一体のものであり、生活世界を植民地化するシステムに対抗する拠点として公共圏が新たに浮上したものとも考えられる。ただし社会現象を過程として捉えることを主眼とする初期シカゴ学派社会学やSI の立場は、社会システム論の考え方を採用してこなかったので、本論でもそうした議論には触れないことにする(Abbot 2009)。14 訳書では再帰性と訳されている。ミード自身がロマン主義の哲学における「自らをふり返ること」の発祥を論じた知識社会学的考察として、Mead(1936=1994)を参照。15 話想宇宙で普遍性に到達する際にはたらく態度・役割取得のメカニズム(「理想的な役割遂行」「他人の靴を履いてみる」こと)についての、ミード自身による説明の事例を念のため掲げておく。自らを他人の位置におかせる能力が、特定の状況で何をなすべきかについてのきっかけを与える。わたしたちが所属している社会は、個人が含まれている一定の状況に対する反応の組織化された組合せをあらわしており、そして、個人が彼自身の性質のなかにこのような組織化された反市民社会をもたらす公共圏と社会的世界としての公共圏(鎌田) 39( 39 )