ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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概要

中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

にあるという点で潜在的な普遍性がある。わたしは有意味シンボルの使用にかかわるものだけが普遍的なものだと考えている。このような意味で、普遍的な意味をもつ有意味シンボルの組合せをわたしたちが手にいれることができれば、このような言語で知的に語ることのできる人は誰でもここでいう普遍性を手にすることになる。(Mead 1934 :269=1973 : 282)ミードの普遍性概念は、行為者同士のやりとりのなかで常に修正を加えられる暫定的なものでありつつ、普遍的なものとしての機能を果たす。こうした柔軟かつ変幻自在で、時間の経過のなかで変形を遂げる不定形な概念、シンボル、普遍性という微妙な捉え方を、ハバーマスが引き継いでいるかどうか。それは確信をもっては語れない。しかし、そうした点はミードに返ってしっかりと再検討していく必要がある。公共圏概念はこうした位置づけの変化を経て、明確な定義が存在しないまま、各種各様にもちいられつづけている(Calhoun 1992=1999)19。現代社会では公共善を謳う立法、司法、行政の三権が稼動して、選挙制度により民主主義的な正統性を付与される政府が現に存在している。そこで公共性のある事柄を論じあう社会的な場や、公共善の実現をめざして運動する社会組織やその活動の場が存在しうることは、当然かつ自明なのかもしれない。本論ではミードの説を想起しながら、社会的な不公正、不正義の状況が集合的に認識されるごとに、特定の問題をめぐる話想宇宙が公共圏として立ちあがり、普遍性のレベルで捉えられがちなその問題に関する状況の定義も、時間の経過や相互作用のなかで揺れ動くというイメージで捉えておく(Mead 1934=1973)。ハバーマスの現状における最後の大著と思われる『事実性と妥当性』(Habermas, 1992a=2002-2003)での公共圏の取りあつかい方は、さらに現代社会で観察される事例に合致するような形態に踏みこんでいる。ちょうどブラヴォイの公共社会学にも呼応する形で、通常のコミュニケーショ32( 32 )