ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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概要

中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

いる人々と共通の観念16(そして共通の観念は共通の反応を含んでいる)を、まったくもたないとすれば、彼はその人たちとコミュニケー卜することはできない。したがって、会話(discourse)の過程すらその背後に協同的活動がなければならない。コミュニケーションの過程は、普遍的宗教の過程あるいは普遍的経済の過程よりも普遍的なものであり、その点でコミュニケーションの過程は、宗教的過程や経済的過程の役にたつ(Mead 1934 : 259=1973 : 272-73)。ミードは科学史を参照しながら議論を進めており、この一節のあと、科学的共同体の普遍性について、さらに科学者たちが議論を交わす話想宇宙(universe of discourse)17 について論じている。科学的真理をめぐる議論のみならず、社会正義や公共善についての対話をおこなう話想宇宙も、これと同じ論法で成り立つことが想定できる。また、有意味シンボルの共有により話想宇宙において達成される普遍性についての一節は、普遍的なものを取り入れた諸個人が社会化を果たして個性的な存在となったあとも、普遍的なものの存在は残るという先ほどのハバーマスの論じ方によく似ている。個人が他人の態度を取りいれるかぎり、シンボルは普遍的だが、シンボルがそのような〔特定の反応に対応するという〕18 限定を受けているばあい、そのシンボルはほんとうに普遍的だろうか。わたしたちはそのような限定を越えられるだろうか。論理学者のいう話想宇宙の考え方により普遍性の限度は明らかに示されている。昔、その普遍性は論理学的な公理の組合せのなかにあらわされていると仮定されていたが、その仮定された公理は普遍的でないことがわかった。そこで、事実上、普遍的であるべき「普遍的」な語り(discourse)はたえず改訂されねばならなかった。普遍的な語りは、わたしたちが接触する合理的な存在を表象するだろうし、このような〔合理的な存在の〕世界市民社会をもたらす公共圏と社会的世界としての公共圏(鎌田) 31( 31 )