ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

アメリカでのシンポジウムで、合理的なコミュニケーションの条件として、自らをふり返ること(reflexivity)14 について問いかけられたハバーマスの回答の一部は、はっきりとミードの社会的自己論、役割(態度)取得論に由来する表現を用いており、公共圏概念とミードの思想の接合が図られている。実際のところ、道徳固有の問題ということになると(それは政治においても起こることですが)、自らをふり返ることは、われわれ自身の遺産からもう一歩あと戻りしなければならないということを意昧していると思います。一歩あと戻りするだけで、さまざまなアイデンティティの違いに気づくことができるのです。ジョージ・ハーバート・ミードが理想的な役割遂行と名づけたもの、すなわち他人の靴を履いてみるということです。もちろん、これは日常生活において起きることですが、ヨーロッパのような多元的文化の社会ではましてそうです。そこでは、自分のところ以外のアイデンティティは、われわれにとってはあいかわらず不可解なものですが、ある程度は相互に承認されているのです。それが自らをふり返ることなのです。自らをふり返ることは、少なくともいわゆる前近代と近代とのあいだの閾(threshold)を確認しようとする際の基準になります。(Calhoun 1992 :474=1999 : 323)15ミード自身の(またはミードの言葉として編集された)、『精神・自我・社会』(Mead 1934=1973)に有意味シンボルの共有による普遍性の達成について論じた以下のような部分がある。人はコミュニケーションをおこなうまえに、コミュニケー卜すべき何かをもっていなければならない。一見、人は別の言語象徴をもっているように見えることがあるが、もし彼がその言語をつかって話をして30( 30 )