ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

ド的な議論の運びの踏襲を参照。「相互性にもとづく承認関係によって結びついた相互主観性のネットワーク」を論じたこの一節では、公共圏という言葉は登場しないが、自律した公共圏を可能にするコミュニケーション的合理性と、個人の社会化の仕組みを検討している。意味の領域でいえば、仮に文化的再生産がもっぱら批判を通じてしか行なえなくなったとしても、伝統の連続性が破壊されることにはならないだろう。[……社会的空間では]11 生活世界が構造的な分化をとげると、生活世界で確立された討議にもとづく意志形成の手続きが、個々人の利害をひとしく考慮しつつも、万人の万人に対する社会的結合を保証するように規定されるからだ。つまり、個々人が討議への参加者として、その取り代え不可能な「然り/否(イエス/ノー)」によって、完全に自立するようになるのは、彼が共同の真理探究を通じて、普遍的な共同体に結びついているという前提にもとづくときだけなのである。[……]生活世界が構造的な分化をとげると、〈社会化は同時に個人化として達成され、また逆に、諸個人はみずからを社会的に構成していく〉という原理が当初から有効な原理として承認されるからだ。社会化が行なわれる相互行為での了解志向的な言語使用12 では、われ・汝・われわれという人称代名詞の体系によって、個人化への意図せざる強制が据えつけられるが、しかしそれと同時に、同じ言語メディアを通じて、社会を形成する相互主観性の力も活発になるのである。(Habermas 1985 : 401=1990 : II, 598-599=1987 : 346-347)ミード理論では個人が社会のなかで社会化し役割を取得、形成していくと同時に、個人の周辺の環境である社会も次第に分化して、その個人を含む複雑な組織が形成されていく。こうした仕組みにハバーマス流の表現を与えたのが上記の一節であろう13。『公共性の構造転換』の英訳(Habermas [1962] 1990=1992)出版後の市民社会をもたらす公共圏と社会的世界としての公共圏(鎌田) 29( 29 )