ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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概要

中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

たらされるはずの公共の議論の場」「シビル・ソサエティに根をおいた公共の議論の場という散漫なネットワーク」(Habermas 2000 : xiii, ix)などの表現で、社会的発言を志す知識人の活動の場として同時代における公共圏を語るようになる。そこに至るまでの理論的経緯、すなわち『公共性の構造転換』(Habermas [1962] 1990= [1973] 1994)から、『コミュニケイション的行為の構造』(Habermas 1981=1985-1987)を経て、『事実性と妥当性』(Habermas 1992a=2002-2003)へといたるまでに、ハバーマスの公共圏理解は、フランクフルト学派の道具的理性批判をふまえたマスコミへの否定的な評価から、ハンス・ヨアスによるミード読解(Joas [1980] 1985)を援用したプラグマチズム的な希望の表明へと、変遷していく。そうした変遷に関する概括的な考察はすでに存在する(花田1996,1999)。そこで本論では、ハバーマスのミードやプラグマチズム理解を通して垣間見える変化を特に検討する。まず『コミュニケイション的行為の構造』(Habermas 1981=1985-87)では、デュルケーム、ミード、ウェーバーの検討を経て、マスコミを文化産業として否定的に捉える路線を基調としながらも、市民的な討議の媒体としての両義的な期待が表明される。『公共性の構造転換』第二版の序文では、第一版の公共圏がブルジョワ革命で実現されたブルジョワ公共圏であったことを考慮し、アダム・ファーガスンの市民社会の考え方(Ferguson [1767] 1980=1956)に言及しつつ、概念の拡充を図っている(Habermas [1990] 1992=1994)。さらに、『近代の哲学的ディスクルス』(Habermas 1985=1990)、『事実性と妥当性』(Habermas 1992a=2002-2003)では、共通善や社会的公正に関する議論の場としての期待が表明される。この時点での公共圏についての言葉の使い方はミード、プラグマチズム、SI における用法と親縁性のあるものに変わっている。たとえば以下の、『近代の哲学的ディスクルス』の一節に見られるミー28( 28 )