ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

られるブルジョワ公共圏(burgerliche Offentlichkeit)である。定義づけとしては、たとえば、以下の部分が引用される。ブルジョワ公共圏は、さしあたり私人たちが公衆として結集する領域として捉えてもよいかもしれない。当局により規制されてきた公共圏を、そうした私人たちはまもなく公権力そのものに対抗して自分のものとして主張することになる。それは、原則的には私有のものだが、公共的な重要性ももつようになった商品交換と社会的労働の圏内での、交渉の一般的規則について公権力との論争に携わるためであった。この政治的対決の媒体は特有で、歴史的に先例のないものである。それは人々が自分たちの理性を公共の場で使用するということ(公共の論議)であった。(Habermas [1962] 1990 : 86=[1973] 1994 : 46=1992 :27)9ハバーマスが公共圏を特に「私人たち」のネットワークとして定義している理由は、ブルジョワ革命の時点で「解放」されたのが、当時の絶対主義化した国家に抑圧された臣民だったからである。またドイツの社会状況として教養を身につけ一定程度の収入を得た「市民」には、国家に官僚として雇用された「公人」が多かったという点も関連していることだろう(野田1997;西村1998)。要するに、現代の社会生活に適用する場合、国民生活にかかわる公共的な事柄について、「公権力との論争に立ち向かうための人々のネットワーク」といった点だけを、定義として汲みとればよいと思われる。この概念は、あくまでも一回限りの現象として観察される歴史的データの説明にもちいられたものであり、多様な現象に当てはまるものとして一般化されるべきでもなかったはずである。それゆえ、この時点で定義があいまいだったとしても、その本来の意図は損なわれない。ブルジョワ公共圏と呼ばれるこうした領域が成立する際に、イギリスで24( 24 )