ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

2、ハバーマス公共圏論の原像ドイツ語での公共圏という言葉は日常会話でも多用され、むしろ英訳のpublic sphere という語が政治学、歴史学、社会学などで活用されることにより、新たに独特な意味が与えられた。そして、ハバーマス自身もこの動向に追随するかのように語の用法を修正してきた。現在の「公共圏」は、公共善や社会的公正についての議論が戦わされる場という程度の意味である(吉田2000;花田1996, 1999 ; Calhoun 1992=1999)。日常語であるがゆえに、ハバーマスは「公共圏」について、はっきりした定義はどこにも与えていない。むしろ以下のような語源の解説に集中する。すなわち、古い公的(offentlich)という形容詞をもとに、18 世紀のフランス語publicite,英語publicity などを模して作られた名詞であり、ギリシャに起源を持つ公的生活(bios politikos)という概念がローマ法に取りこまれて、公的なものと私的なものを区分し、公事(res publica)の領域を定める定義づけとなって継承されてきたとしている(Habermas[1962] 1990 : 14-17=1994 : 13-15)。ここでハバーマスはこうした概念整理の出典としてアレントの『人間の条件』(Arendt [1958] 1998=[1973] 1994)を挙げている。アレントは、ギリシャのポリスにおける政治生活で見られる公的領域(public realm)と、私的領域(private realm)の区別を論じている。古代ギリシャの公的領域では、責任ある諸個人がポリスの政治生活への平等な参加者として、堂々と自己の政治的意見を述べて対等に論じあう直接参加の政治的議論をなし得たものとアレントは考え、そうした領域を改めて構築することを提唱した。彼女は実生活においてもナチズムによるユダヤ人迫害の経験者として、一方的に迫害されるだけの被害者としてのユダヤ人像という社会的通念に拘束されず、ユダヤ人の犯した悪を認めさせまいとする政治的圧力にも惑わされず、ナチスに協力したユダヤ指導者の実像を、自己の目に映じる限りでの歴史状況として描き、信念を表明する倫理22( 22 )