ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

いる以上は気にしないようにしようとそれからは心に決めました。」・「事故前の『自宅の庭で遊ぶ』『近所の子供達との交流』『自宅近くの散歩』等、ささいな事が出来ない事を悲しく、また子供達をかわいそうに思います。体力もかなり落ちている様で、すぐに『疲れた』と言う様になりました。」・「長男(8 才)は、外であそべなくなってから家の中にいるため、(ストレスもかなりたまっていました。)食べたり、ゲームしたり、体を動かす事が少なくなり体重も増えてしまいました。今は少しずつ短時間外であそぶ様になりましたがこのままの体形ではひまんと診断されているのでなんとかしたいです。」(2)親・「私の地域は、地震での被害は他に比べそれ程多くなかった事もあり、放射能汚染での心労が大半です。農家でもあり、食に関しては、とても悩み、私はノイローゼぎみです。“大丈夫”と言われる数値であっても、心から信用できない自分がおり、不安でしかたがありません。周りは、自分と同じようには感じておらず、自分だけが不安で、無駄な心配をしているとバカにされる気分にもなり、頭がおかしくなりそうで、不安をのみこんで考えないようにもしています。」・「子供達も、前の様に外遊びできなくなり、私自身も体調すぐれず、悪い事ばかり・・・でも、子供達の前では笑顔でいたいと心がけてます。」・「災震から半年くらいずっと悩んで、寝不足やお酒の量も増え、それが原因なのか、左耳が聞こえなくなり、メニエール病と診断され、そのせいで、うつ状態になったこともありました。でも、玄侑宗久さんの「放射線の被害の大部分は心理的なものだ」という言葉に出会いとても救われました。左耳が聞こえなくなったのは、東電のせいでも震災のせいでもなく、弱い自分のせいだと気づいた時から少しずつ前向きに考えられるようになりました。今では耳の調子もだいぶよくな1,200 Fukushima Mothers Speak(成元哲・牛島佳代・松谷満) 183( 183 )