ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

とが分りました……。放射能の影響を考えると子どものためには、仙台のままに居た方が良かったのかもしれないと悩む日々です。」・「震災当時は、妊娠中だったため、小さい子どもとこれから産まれてくるわが子の将来にかなり不安を感じましたが、避難をするということが難しく当時はかなり悩みました。悩んでばかりもいられないのが現実です。母親が不安だと子ども達はさらに不安だと思います。これからどうなるかは分かりませんが、私は、この町で生活を続け、子ども達を育てていくつもりです。気にしても仕方がない。楽観的かもしれませんが、悩んでいるよりも、精神的、身体的に良いと思います。」・「震災当時、妊娠しており、かなり不安を持ちながら、職場、家とすごしておりました。このような事態となり、育休を延長し、子どもたちとの時間を増やしたのも事実です。福島での生活を選択したものの、生活していくことに本当に大丈夫なのか、子どもたちの未来は大丈夫なのかと、不安はつきません。でも自分たちの選択がまちがっていなかったと思い生活していくしかありません。この選択する他に方法がなかったのですから・・・。今後も、考え方が変化していくことはあっても、その時での選択は本当に精一杯です。」・「妊娠中も私は食べものとか(県内のもの)はあまり気にしないほうでした。でも、頭のかたすみでは、震災後ずっと放射能のことが気になっていて頭はもんもんとしたままでストレスをかんじます!」イ流産放射能が流産に影響した可能性を一生抱えていかなければならない苦しみをもつ人が存在する。・「原発事故(震災)後、妊娠をしました。そして死産しました。・・・、原発事故直後この放射能の大変さが分からず、まだ住んだばかりの自宅前の環境を良くしようと、林の木を伐採したり、うっそうとした背高位の草木を刈ったりと数週に渡り、夫とそして時にまだ2 才だった140( 140 )