ブックタイトル中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

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中京大学現代社会学部紀要2014第8巻第1号

ちと避難しています。夫は仕事帰りや週末会いに通っています。子供たちが父親と離れて暮らす影響が心配ですが、自宅周辺が(山林)とても線量が高くて戻るのをためらっています。」・「現在山形市に母子避難しています。山形の借り上げ住宅に2011 年8 月から住み始め、当初は週末ごとに私たち(母子)が福島に戻り父とともに過ごす時間を作るようにしていました。住民票は福島市のままなので、医療費や予防接種などの手続きが少し面倒です。幼稚園も本当なら今年少の歳なので入園させたかったのですがいつ福島に戻るか先も見えず、避難による経済的困窮のため保育料の念出が難しく今年度は断念しました。次年度ももう少し山形でがんばってみようと思います」・「県外に避難しています。やはり福島で子育てをするのはまだ不安を感じます。家計は苦しくなりますが後から後悔したくないと思い避難を決めました。この子が1 年生になるまでは県外にいる予定です。その後は様子をみて決めようと思います。」・「現在、自主避難をしています。以前は子供を転校させ避難先に住んでいましたが、進学の件もあり、現在は、自宅と避難先を往復する日々です。」・「3 月15 日に東京に避難しました。月半分半分で行き来しています。・・・月半分は東京で私と二人きり、福島での月半分も最初の数ヶ月は外にも出せず・・・」・「2012.4 月から実家のある茨城へ移動(母子避難)しました。それからというもの月3 回、週末に子どもたちを預け郡山へ仕事に通う暮らし。間もなく1 年になります」・「原発事故後、宮城県へ自主的に避難しました。二本松は、放射能が高いにもかかわらず、避難区域に入らずとても不安です。・・・子供を第一に考え、引越しましたが、職がなく、家計が大変です。」・「秋田に転勤が決まった時に、初めて県外に家族で引っ越す不安と共1,200 Fukushima Mothers Speak(成元哲・牛島佳代・松谷満) 103( 103 )