スポーツ科学部2年中島萌花さんが日露青年交流プログラムで
ロシアの女子サンボ・相撲大会に参加

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試合会場のオリンピアンセンター サンボの試合

 

 6月30日から7月7日までの8日間、私はロシアのウラジオストクで開催された日露青年交流プログラムのサンボ・相撲大会に参加し、ロシアの若者たちとスポーツを通じた交流を行いました。

 ウラジオストクはロシアの最東南端にあり、日本海に面し、北朝鮮や中国との国境までそれぞれ100km足らずの場所に位置しています。一方で、日本から一番近いヨーロッパと言われていて、1920年頃には日本人6000人程が住み活発に交流が行われていた町だとのことです。

 このプログラムを主催する日露青年交流センターは、両国の政府間協定に基づき人的交流および相互理解を拡充する国際機関である日露青年交流委員会の事務局として1999年に設置されました。小渕首相とエリツィン大統領の日露首脳会談がきっかけだったとのことです。2013年に安倍首相とプーチン大統領はさらなる交流の発展を目指すことで合意しました。

 

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サンボで準優勝 中島萌花さん(左)

 交流プログラムのメインであるウラジオストク市市制156周年記念女子サンボ・相撲大会には、総勢80人程が参加しました。ロシア勢、日本勢に加え韓国勢も参加し、サンボは9つ、相撲は7つの階級に別れて戦いました。私は大学では柔道部に所属しています。サンボという競技は観たことも聞いたことも無い上、練習時間も十分に取れない状態で参加しました。柔道やレスリングが混ざったような競技と聞きましたが、柔道では禁止されている足関節技などがあるということでとても不安でした。大会では日本人サポーターや仲間に応援されながら苦しい試合を勝ち上がり決勝までいきました。現地で「不動のチャンピオン」と呼ばれているロシア人選手に決勝では負けてしまいましたが、準優勝することができました。また相撲大会では3位になりました。

 サンボは軍事訓練や護身術のためにロシアで始められ、レスリングや柔術から今のサンボが作られました。パンチやキックという打撃系の技のないスポーツ格闘技です。上半身は青か赤のサンボジャケットと帯、下半身はジャケットと同系統色の短パンあるいはスパッツで、シューズを履きます。サンボジャケットは柔道着に似ていますが、掴みやすいよう肩の部分に返しがあり、レスリングと同じように円形のマットで競技を行います。ロシア人は様々なスポーツを愛し、新しいスポーツを取り入れることに積極的なため、日本の相撲も人気になっているそうです。

大会終了後には、第二次世界大戦で実際に使用された潜水艦に行ったり、ウラジオストクの新しいランドマークである黄金橋がつないだルースキー島の美しい海岸線や帝政ロシア時代の要塞、大砲博物館を訪問したりしました。また、シベリア鉄道の終着駅であるウラジオストクから乗って近郊のウスリースク市やスパスクダーリニー市へ移動し、現地の子どもたちとスポーツを通じた交流をしました。訪れた地域はネットや電気がほとんど無く、正直なところとても不便でした。しかし、自然が美しく、のびのびと遊び回る子どもたちに元気をもらいました。言葉が全く通じないため、身振り手振りで必死に思いを伝えたり、ロシア語を調べて話したりするので少し大変でしたが、お互いが理解しようとするので通じあえた時はとても嬉しかったです。初めての海外で不安なことも多く、ロシアで過ごす毎日は日本との生活の違いに戸惑うことばかりでした。しかし現地の人や交流プログラムのサポーターに支えてもらいながらとても充実した楽しい日々を過ごすことができました。アクティブで自分のスキルを高めようとするロシア人の姿に刺激をうけ、自分自身のモチベーションの向上にも繋がりました。

 現在、日露、日韓の間には様々な問題が有ります。このような交流もやや下火になりつつあるのかもしれません。かつては日本のいくつかの都市とウラジオストクとの間には海や空の多くの航路があったそうです。それもずいぶんと縮小傾向のようです。しかし、私が参加することができたこのような若者の交流を通して相互理解を深め、友好関係を築いていくことが大切だと思いました。ロシアの文化に触れ、学んだことや経験を自分の糧として今後も積極的に国際交流をしていきたいと思います。

 

(スポーツ科学部競技スポーツ科学科2年 中島 萌花)

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ウラジオストク市市制156周年記念女子サンボ・相撲大会参加者

2016/08/22

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