鶴舞公園の歴史

 私たちは鶴舞(つるま)公園の歴史について調査しました。

 鶴舞公園は今年で開演106年を迎える長い歴史を持つ都市公園であり、園内には今もその跡が残っています。しかし、その研究については、あまり進んでいないのが現状です。

 本報告では、明治から大正にかけての鶴舞公園の性格の変化と、園内に遺された史跡設置の背景について考察しました。

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発表する「鶴舞公園の歴史」班メンバー

 

 鶴舞公園は、明治38(1905)年の旧精進川の改修工事により生じた土砂による御器所村の埋め立てと、「第10回関西府県連合共進会」の会場として利用する目的から、明治42(1909)年11月19日に告示を受けて誕生しました。関西府県連合共進会とは、西日本各県が連合して持ち回りで開催し、各府県の産業の現状を紹介する場として設けられた催し物です。愛知県が主催した第10回共進会は、明治43(1910)年3月16日から90日間に渡り、3府28県が参加し、これまでにないほど大規模なものになりました。連合区域、出品点数、入場者数が開催以来最も多かったそうです。

 共進会後、大正デモクラシー期の公園はより政治性を帯びた存在となり、鶴舞公園は各種運動の拠点となりました。さらに大正7(1918)年以降、普通選挙運動が勢いを増していきました。大正11(1922)年には、愛知県出身で憲政会総裁である加藤高明が普通選挙採用を決意したことにより、憲政会は普通選挙運動の主導権を握ることに成功しました。その後も、各地の公園で普選運動が行われ、遂に大正14(1925)年、加藤高明内閣時に普通選挙法が可決されました。

有志によって加藤高明の銅像が昭和3(1928)年に建てられました。しかし銅像は、後に軍需用に供出されてしまい、現在はその台座のみが園内に遺っています。

 次に普通選挙記念壇についてです。これは、普通選挙法の成立を記念し、当時の名古屋新聞社が銅像と同じ年の、昭和3年に建造したものになります。この昭和3年は、前回の15回総選挙から3年半以上経っていることと、1925年に普通選挙法が成立していることから、第1回普通選挙が想定される時期でした。また当時名古屋新聞社社長であった小山松寿は、加藤高明と同じ憲政会と、それを継承した立憲民政党の幹部でありました。

以上の2点から、普通選挙記念壇の設置の本来の目的は、普通選挙導入が初めてとなる第16回総選挙から増加する有権者を、獲得することであったのではないかと考えられます。

 以上のことから、鶴舞公園は、明治時代に共進会での成功をもとに、産業発展を象徴する場となっていきましたが、大正デモクラシーのなかで、産業の場から政治運動の舞台として機能していき、昭和初期には選挙運動の拠点へ とその性格を変化させていったことが分かりました。そして、今もなお公園内に遺されている史跡は、その過程でできた副産物であるといえます。

 踏査基礎演習での研究活動で一番大変だったことは、一から資料を集めなければならないことでした。特に、私たちの班のテーマである鶴舞公園は、歴史や史跡に関する研究が進んでおらず文献が少なかったので、先生からアドバイスをもらいながら班員で協力して調査しました。資料集めは卒業研究ゼミナールでも必要となってくる作業であるので、良い練習になったと思います。

 1年間に渡る踏査基礎演習では、調査した内容をレジュメにまとめてパワーポイントを使って発表し、質疑応答する機会が数回ありました。初めのうちは制限時間内に発表が終わらない、話の要点を絞ることができず何が言いたいのか分からない、期限までにレジュメが完成できない等の課題が多くありましたが、何度も発表していく毎にプレゼンの質も徐々に向上させることができました。この授業を通して、社会に出る上で必要なプレゼン能力を鍛えることができました。

(文学部歴史文化学科 中元ゼミ2年 服部早希)

 この1年踏査基礎の授業を通してグループで学習することの難しさを知ることができました。実際に鶴舞公園や鶴舞図書館で調査できたことは、普通の授業ではあまりないことで、良い経験になりました。

 資料写真をたくさん撮りましたが、発表の都合上全てを紹介できず、少し残念でした。意見を持って発表することがあまりできなかったのが反省点です。

(文学部歴史文化学科2年 林和輝)

2016/03/03

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