梅村学園の発展に多大な功績
梅村すみ子先生逝去される

sumiko_umemura.jpg  学校法人梅村学園の松阪女子高校(1994年・三重高校と統合)や松阪女子中学校(1974年・三重中学校と統合)の開設に尽力され初代校長を務め るなど学園の発展に多大な功績を遺された中京大学体育学部元教授の梅村すみ子(うめむら・すみこ)先生が、11月2日午後4時50分、老衰のため逝去され た。先生は中京大学創設者の故梅村清明氏の妻で、学園の現総長・理事長、梅村清弘氏の実母。1916年(大正5年)11月28日生まれ、享年93歳だっ た。

  通夜は11月3日午後7時から、葬儀・告別式は11月4日正午から、梅村家と梅村学園の合同葬として、名古屋市昭和区八事本町78、八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)本堂で執り行う。葬儀委員長は中京大学学長、北川薫(きたがわ・かおる)氏、喪主は梅村清弘(うめむら・き よひろ)氏。

  梅村すみ子先生は名古屋市西区出身。幼少の頃から陸上競技に秀でた才を発揮され、1932年(昭和7年)、15歳で出場したロサンゼルス五輪の女子400mリレーで5位入賞を果たした。また、戦前に4回行われた国際女子競技大会(通称・女子五輪)の第3回(1930年、プラハ) と第4回(1934年、ロンドン)に出場し、プラハでは400mリレー、ロンドンでは走り幅跳びと400mリレーでそれぞれ4位入賞した。1932年には日本選手権の女子100mで日本記録(12秒2)を樹立するなど活躍、草創期の日本女子陸上界を牽引された。

  先生は1935年(昭和10年)に清明氏と結婚。出征した清明氏がシベリアに抑留され、1949年(昭和24年)に帰国するまでの間は学園校主代理として学園を守って奔走。その後、学園評議員(1947年―1966年)として学園の運営に携わる一方、1959年(昭和34年)中京大学商学部を卒業。中京商業学校(現・附属中京高校)講師、体育学部教授(専門・陸上競技)、松阪女子高校校長、松阪女子中学校校長の他、松阪女子短期大学(現・三重中京大学短期大学部)附属梅村幼稚園の初代園長も務めるなど、学園内各教育機関の責任者として尽力された。
  中京大学陸上競技部・女子部の初代部長兼監督、1950年(昭和25年)の愛知国体の女子陸上監督、1964年(昭和39年)東京五輪陸上女子の選手強化コーチなども務められた。

(お断り)合同葬に際しましては、ご香典、ご供花、ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。

学校法人 梅村学園

2010/11/02

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