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アートギャラリーC・スクエア

第116回企画 ラスト・シーン展

会期 2013年12月16日(月)~2014年1月25日(土)
休館日 日曜・祝日、
12月22日、23日、27日~2014年1月5日、12日、13日、18日、19日
開館時間 午前9時~午後5時 入場無料

ご案内

トークイベント
内   容 「ラスト・トーク」
日   時 2014年1月25日(土) 午後1時30分~3時30分
会   場 名古屋キャンパス センタービル2階 ヤマテホール
備   考 聴講無料 予約不要
※終了後、クロージングパーティを開きます。

アーティスト詳細(かわなかのぶひろ)

作品紹介
つくられつつある映画
つくられつつある映画

 ぼくが映画を手がけようと思った頃は、映画は映画会社の撮影所へ入って、長年助監督修業をしなければ出来ないもの、と思われていました。メジャーのスタジオは狭き門で、一流の大学を出ていなければ受験すら適いませんでした。そんな時代に、偶然手にした「世界映画資料」(1960年1月号)というリーフレットにジョナス・メカスの「自由な映画をめざして─アメリカ映画の新しい波」という小論が掲載されていて、その最初のパラグラフに惹きつけられました。

 「おれは本気なんだぜ」と私はニューヨークの友人に大文字を使って書いてやった。「若い映画作家なんてアメリカにいるものか! 我々の為に誰かがやってくれるだと? 自分でやらなきゃ駄目さ」

 火を吹くようなこの言葉に煽られ、ぼくは即座に8mmカメラを買い込み、自分で撮りはじめました・・・8mmでつくるそれは、撮影所がつくり出す映画のようなわけにはいきません。しかしそれは、はからずも詩人が詩を書くように、画家が絵を描くように個人の表現として映像作品を考えるキッカケになりました。昨今はデジタルカメラを通じて誰もが自分で作品を手がけます。けれどもその内容はおおむね商業映画の形式を踏襲するもので、映像を個人で手がける意味を問うものではありません。名古屋は 8mmの「エルモ」発祥の地です。この地にふさわしい個人で手がける映像ならではの試みを“挑発的”に展示いたしましょう。

プロフィール
かわなかのぶひろ
かわなかのぶひろ
1941年東京生まれ。60年代初頭より8mmによる映像制作を手がける。やがて日本の実験映画胎動期にあって、その発展のために日本で最初の個人を基盤とする映像制作・配給組織の設立に参加、中心的な役割を果たす。1971年にインディペンデント・フィルム制作・配給組織アンダーグラウンド・センターを設立主宰。シネマテークを中心とする定期上映活動を継続。80年代にはイメージフォーラムを設立。海外へ日本の実験映画を紹介するためドイツ、アメリカ、オーストラリア等へ長期ツアーを手がける。映像専門誌「月刊イメージフォーラム」を創刊、初代編集長を務める。いっぽう映像教育に関しても東京造形大学やイメージフォーラム映像研究所にて多くの新人を育成。またこれまで長短あわせて100本あまりの個人を基盤とする作品を手がけている。

アーティスト詳細(鴻池朋子)

作品紹介

 私は自分の肉体は「物質」ではなく、自分が最初に内的な体験をする「場所」であると感じています。そして作品とは、肉体という内界と外側にある異なる世界を、相互に移動するための玩具(呪具)のようなものと考えています。

 今回のジオラマ作品は、立体的な地図であるジオラマ模型を用いて、 “想像力の移動”をデザインしました。地図には位置を空間的な認識でとらえる事の他にも、多くの魔力が潜んでいます。例えば知らない土地の地図であっても、細部の道やアイコン化された図柄を通して、地図に織り込まれている内奧性(ないおうせい)の扉が開き、記憶装置のように数々の物語のようなものが、そこから感覚的情報として押し寄せてくる時があります。それは絵が描かれる時と非常に似ています。

 このジオラマには四季の循環や、縮小率の違う模型のまやかしが一つに混入され、観客の視覚を撹乱させながら奥地へ誘います。地形の奥へ奥へと引き込むズームインと、再び夢から醒めるようなズームアウトの往還が繰り返され、想像力が何度も渓谷に木霊(こだま)します。このような遊びをしていると、人間が出現し、ものをつくりはじめた旧石器時代の石組みから現在ある建築まで、形がどうやって生まれてきたのか、なんとなくわかる時があるのです。絵を描くとは、ここと物理的に離れた場所とをダイレクトに結ぶ移動装置のようなもので、それは知らない土地の地図を手に入れた人間の身体感覚に似ています。

 『ラスト・シーン』展とはとても不思議なタイトルです。それは表現者側ではなく観客側の視点から見た題名だからです。観客の意識下に蠢くものは計り知れない野性です。アートはその瀬戸際での一期一会、まさに毎回一度きりのラスト・シーンなのかもしれません。このギャラリーという場と観客と作品とによって異界が出現し、現代の神話がアーティストではなく、鑑賞者によって、豊かに物語られていくのを楽しみにしています。

プロフィール
鴻池朋子
鴻池朋子(こうのいけともこ)
1960年秋田県生まれ。玩具デザインに携わり、1998年より絵画、彫刻、アニメーション、絵本等を通じ現代の神話を表現している。2005年「ストーリーテラーズ」森美術館、2006年個展「第0章」大原美術館、2006年「The Scarecrow」アヴァロフ美術館(ギリシャ)、「Rapt!」CCP(オーストラリア)、2008年広州トリエンナーレ(中国)、2010年釜山ビエンナーレ(韓国)、ドレスデン州立美術館(ドイツ)「KAMI」展、2009年「鴻池朋子展 インタートラベラー神話と遊ぶ人」東京オペラシティ(鹿児島県霧島アートの森巡回)、「東北を開く神話」(秋田県立美術館)、2013年個展「Earthshine」ウェンディ・ノリス(サンフランシスコ)。2011年よりフィールドワークを主体とした「美術館ロッジ」(秋田森吉山)プロジェクトが進行中。パブリックアート2012年「さんぽーと港南」(品川)、「ワテラス」(淡路町)他。書籍は『みみお』、『狐媚記』、『インタートラベラー 死者と遊ぶ人』、『焚書World of Wonder』他。

アーティスト詳細(畠山直哉)

作品紹介
陸前高田 2012-2013
陸前高田 2012-2013

 大津波に遭った自分の故郷の今の姿を、この懐かしい場所で、しかも『ラスト・シーン』というタイトルの展覧会で、見せることになろうとは、夢にも思わなかった。「ラスト」という言葉のせいで、陸前高田の風景が「最期の風景」というふうに見えるかもしれない。でも、話をそれほど単純なものにしてはいけない。

 「ラスト」は、ものごとの順序における「最後」のことであり、対義語を尋ねれば、それは「ファースト」つまり「最初」である。最初と最後。考えてみればこれは実に、人の経験そのもののことである。

 あなたには、膨大な量の経験があり、そのすべてに「最初」があった。自転車に乗れたとか、学校に入学したとか、最愛の人と出会ったとか・・・。それらは持続し反復され、私たちの日常はそうやって出来上がっている。だが時間は不可逆的に進み、やがて、認めたくはないけれど、その経験すべてに「最後」が来てしまう。ひとつずつならなんとか対処もできようが、「最後」がまとめていっぺんにやって来たら、為す術がない。私たちにとって、すべてのうちで「死」がもっとも悔しいものである理由は、ここにある。

 最初と最後、ものごとの順序、経験、そして死。それらをわきまえた私たちの内には、やがて歴史という概念が生まれた。歴史とは、無常にさらされる私たちが、この世のどこに立っているのかを教えてくれる、とても人間的な知恵だった。おかげで私たちの日常は、なんとか保たれていた。だが、その「歴史」から解放されているものが、つまり人の経験の外に在るものが、この世にひとつだけあったことを、私たちはすっかり忘れていた。

 私たちの生まれ育った家が、これほどの広さの、そしてこれほど低い、沖積平野の上にあったとは・・・。「自然」は確かに、歴史から解放されている。その事実に対して感じる、悶絶するほどの悔しさは、死に対して感じるそれに、匹敵するほどだ。自然には「ラスト・シーン」すら、存在しないだろう。

プロフィール
畠山直哉
畠山直哉(はたけやまなおや)
写真家。1958年岩手県陸前高田市生まれ。1984年筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了。1997年第22回木村伊兵衛写真賞、2000年第16回東川賞国内作家賞、2001年第42回毎日芸術賞、2003年日本写真協会年度賞、2012年第62回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2001年ヴェネチアビエンナーレ国際美術展、2012年同国際建築展における日本館の展示に参加(2012年国別部門金獅子賞受賞)。著書に「Lime Works」(青幻舎)、「Underground」(メディアファクトリー)、「気仙川」(河出書房新社)、「話す写真」「Blast」(共に小学館)など。東京在住。

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